鈴木寛(東京オリンピック・パラリンピック招致議連事務局長)第1回「”コペンハーゲン”の涙を糧に」

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 2013年9月8日午前5時、日本列島が歓喜に沸いた――アルゼンチン・ブエノスアイレスでIOC(国際オリンピック委員会)総会が行なわれ、20年オリンピック・パラリンピックの開催都市が東京に決定した。優勢と報じられていたマドリード(スペイン)が1回目の投票で落選。東京は、イスタンブール(トルコ)との決選投票で60対36と圧勝した。果たして現地では何が起こっていたのか。16年大会から招致活動に携わり、東京大会の実現に尽力してきた鈴木寛氏にインタビューした。

 

伊藤: 2020年東京オリンピック・パラリンピックが決定しました。鈴木先生は16年大会から7年半、ずっと招致に携わってきたわけですが、今、どんな思いでしょうか?

鈴木: いやぁ、とても嬉しいですね。と同時に、ホッとしました。もし、今回落選したら、僕が元気なうちに東京でオリンピック・パラリンピックを開催するというのは、もう無理だなと思っていましたからね。

 

伊藤: それほどの気持ちでブエノスアイレスに乗り込んだと?

鈴木: はい。僕だけでなく、全員が相当な覚悟でブエノスアイレスに行ったんです。それこそ日本スポーツ界をはじめ、この国の歴史の大きな岐路だったわけですからね。ですから、決まった時は本当にホッとしました。

 

二宮: 鈴木さんは16年大会で落選した時も現地にいました。その時の悔しさを知っているからこそ、今回の招致成功は感慨深いものがあったでしょうね。

鈴木: そうなんです。4年前のコペンハーゲンでは、帰りの飛行機で大の大人が男泣きしていた。その時の挑戦と反省、そしてこの4年間の積み重ねがあったからこそ、今回の成功があったと思っています。

 

 生かされたサッカー界の人脈

 

伊藤: 今回の招致活動では、地球10周分はしたのではないかというくらい、ロビー活動に奔走したそうですね。「日本人はロビー活動が下手だ」と言われていますが、そこをしっかりとできたことが勝因につながったと。

鈴木: はい、まさにその通りだと思います。

 

二宮: 今回は02年W杯を招致したサッカー関係者が幅広い人脈をいかし、ロビー活動で力を発揮しましたよね。

鈴木: サッカーは世界で最も競技人口が多く、IOC委員の中にもFIFA(国際サッカー連盟)会長のゼップ・ブラッター氏など、サッカー関係者が5名いるんです。また、IOC委員の多くが欧州ですから、サッカー界の人脈というのは非常に大きな影響力をもちます。ですから、東京オリンピック・パラリンピック招致委員会評議会副会長の川淵三郎氏をはじめ、日本サッカー界関係者の尽力も大きかったことは間違いありません。

 

(第2回につづく)

 

鈴木寛(すずき・かん)プロフィール>
1964年生まれ。灘高、東大法学部卒業。通産官僚を経て慶應大学助教授。2001年参議院議初当選(東京都)。民主党政権では文部科学副大臣を2期務めるなど、教育、医療、スポーツ・文化を中心に活動。党憲法調査会事務局長、参議院憲法審査会 幹事などを歴任。超党派スポーツ振興議連幹事長、東京オリンピック・パラリンピック招致議連事務局長。超党派文化芸術振興議員連盟幹事長。日本ユネスコ委員。大阪大学招聘教授、中央大学客員教授、電通大学客員教授。主な著書に『熟議のススメ』(講談社)ほか多数。

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