二宮: 2008年の北京パラリンピックでは、視覚障害の背泳ぎの種目が廃止され、悔しい思いを味わいましたね。ロンドンでは種目が復活するということで金メダルを目指してきたわけですが、4年間、大変な時期もあったのでは?

秋山: そうですね。特に、2010年の世界選手権で自己ベストを更新して以降、今年7月のジャパラまで100メートル背泳ぎでは記録を伸ばすことができずにいたんです。その約2年間は本当に辛かったですね。泳げば泳ぐほど、どんどんタイムが落ちていってしまって......。

 

二宮: スランプに陥った原因は?

秋山: フォームが安定していなかったということもありますが、それでも練習中にはしっかりとタイムが出せていたので、やっぱり精神的なものが大きかったと思います。というのも、10年の世界選手権では、前半は2位に結構な差をつけてトップだったのですが、後半で追い上げられて、最後の5メートルで抜かれてしまい、銀メダルだったんです。そのレースがトラウマとなって、それからは前半から全力で入ることが怖くなってしまいました。自分の持ち味はスタートから前半なのに、前後半イーブンペースのレースばかりやっていたんです。

 

二宮: それがロンドンの決勝では、スタートから最後まで全力でいくことができたと。

秋山: はい。世界新は出せませんでしたが、ようやく自分の泳ぎをすることができたことが、あれだけの喜びにつながったのだと思います。

 

二宮: パラリンピック直前に、国立スポーツ科学センター(JISS)のプールで練習をされたそうですね。

秋山: はい。JISSで練習できたことも、私にとっては本当に大きかったんです。背泳ぎはスタートが非常に重要なのですが、足で蹴る部分のタッチ板によって、そのスタートに大きな影響を及ぼすんです。日本ではほとんどがセイコー製なのですが、今回ロンドンで使用されていたのはオメガ製でした。私はオメガ製が苦手なんです。

 

二宮: セイコー製とオメガ製とでは、どの部分に違いあるのでしょう?

秋山: 表面がセイコー製はプチプチと穴が開いているのに対して、オメガ製は縦縞の構造になっているんです。JISSで行なわれた直前の合宿で初めてオメガ製のタッチ板を経験したのですが、一番最初のスタートでツルッと滑ってしまったんです。「うわぁ、未経験のままロンドンに行っていたら、絶対にスタートで失敗していたなぁ」と思いましたね。JISSでの合宿では、オメガ製のプレート板に慣れようと、嫌というほどスタートの練習をしました。

 

 初の"乾杯"はコーチとともに

 

二宮: 金メダルを獲った後は、秋山さんのツイッターにも、祝福のメッセージが多く届いたのでは?

秋山: はい。300通以上ものメッセージをいただきました。こんなことは初めてだったので、驚きました。

 

二宮: ご家族とも祝杯をあげられましたか?

秋山: いえ、まだなんです。実は1年前から禁酒をしているんです。昨年8月のジャパンパラで世界新を狙っていたのですが、結局、出すことができなくて、「どうしようか」と考えた時に願懸けくらいしか思いつかなかったんですね。それで「自己ベストを更新するまではお酒を飲まない」と決めたんです。その時は半年後には更新するつもりだったのですが、結局タイムが伸びませんでした。それで「じゃあ、ロンドンで金メダルを獲るまでは飲まない」と。

 

二宮: どのタイミングで解禁する予定ですか?

秋山: お世話になったチャンピオンスイムクラブいせはら校の遠藤基コーチと乾杯する時に、解禁しようかなと思っています(笑)。

 

二宮: なるほど。それはコーチも喜びますね。

秋山: まだ、いつ乾杯できるかわからないのですが、その時を楽しみにしていようと思っています。

 

(第3回につづく)

 

秋山里奈(あきやま・りな)プロフィール>

1987年11月26日、神奈川県生まれ。先天性の全盲。3歳から水泳を始め、小学5年の時に読んだ本で知った河合純一選手(バルセロナ大会から6大会連続でパラリンピックに出場し、計21個のメダルを獲得している)に憧れてパラリンピックを目指す。高校2年時に初出場したアテネ大会では100メートル背泳ぎで銀メダル。08年北京大会では同種目が廃止されるも、50メートル自由形で8位入賞を果たす。ロンドン大会では100メートル背泳ぎで悲願の金メダルに輝いた。今年7月のジャパンパラでマークした自己ベスト1分18秒59は世界記録となっている。現在は明治大学大学院に通っている。


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