震災で行き場を失った彼女を救ったのは小川直也氏だった8月29日に開幕するロンドンパラリンピックには、17競技135名の日本代表選手が出場する。視覚障害者柔道女子52キロ級代表の半谷静香は、今回が初めてのパラリンピックだ。大学卒業を間近に控えた昨年3月、東日本大震災の影響で行き場を失った彼女に救いの手を差しのべたのが、バルセロナ五輪柔道男子95キロ超級で銀メダルを獲得した小川直也である。半谷をロンドンに導いた「小川道場」の指導とは――。

 

二宮: 半谷さんが「小川道場」に入門するきっかけとなったのが、昨年3月に起きた東日本大震災。当時はどのような状況だったのでしょうか?

半谷: 当時は茨城県の筑波技術大学4年生でした。まだ就職先も確定していない状況で、震災が起きてしまったんです。福島県いわき市に住む家族も被害を受けていましたから、実家に戻ることもできませんでした。1年後にはロンドンパラリンピックの選考会が控えていたのですが、練習する環境もありませんでした。それで大学で柔道を指導していただいていた先生に相談したところ、小川先生に紹介していただいたんです。

 

二宮: 小川さんにはどういう話があったのですか?

小川: 私自身、その年の4月から筑波大学大学院の修士課程に通うことになっていたんです。その関係で知人を介して半谷について「何とかしてやってもらえないか」という話がきました。聞けば、実家も被災しているというので、自分にできることならば、と引き受けました。

 

二宮: 実際に指導されて、いかがでしたか?

小川: 彼女はいわゆる新卒でしたから、預かった以上、まずは社会人としてのマナーを教えなくてはいけないという気持ちがありましたね。まぁ、これは世代というものもあるのでしょうが、例えば会社を休む時にメール1通送ってきただけで、電話をしてこなかったんです。彼女にしてみたら、きちんとメールで「休みます」と連絡をしたということになるのかもしれませんが、それは社会では通用しません。「きちんと電話をしてきなさい」と注意しました。前々からわかっていることならば、遅くとも前日までには連絡するようにと。

 

二宮: なるほど。柔道の前に一社会人として、どうあるべきかが大事だと。この1年間で、小川さんからいろいろと教わったと思いますが、半谷さんはいかがでしたか?

半谷: とにかく自分が至らないことばかりで、「その通りです」と受け止めることばかりでした。

 

二宮: では、柔道に関してはいかがでしたか?

小川: 驚いたことに、私の所に来るまでは使える技は背負い投げしかなかったんです。逆に、よく背負い投げ1本だけでここまでやってこれたなと。でも、だからこそまだまだ伸びしろがあるなとも感じました。

 

(第2回につづく)

 

半谷静香(はんがい・しずか)プロフィール>

1988年7月23日、福島県生まれ。生まれつき弱視の障害がある。中学1年から柔道を始め、大学1年時に初めて出場した全国視覚障害者柔道選手権で優勝。昨年3月の東日本大震災で被災し、行き場を失ったところへ手を差しのべてくれた「小川道場」に入門した。小川直也氏に師事し、稽古に励んでいる。ロンドンパラリンピックでは女子52キロ級代表として、初めてのパラリンピックに挑む。

 

小川直也(おがわ・なおや)プロフィール>

1968年3月31日、東京都生まれ。高校1年から柔道を始め、明治大学1年時には全日本学生柔道選手権で優勝。史上2人目の1年生王者となる。2年時には史上最年少で柔道世界選手権無差別級を制覇。4年時には同大会で95キロ超級、無差別級の2階級制覇を達成した。卒業後、90年にJRA(日本中央競馬会)に入会。92年バルセロナ五輪95キロ超級で銀メダルを獲得した。96年アトランタ五輪では同級5位。翌年にはプロ格闘家に転向した。現在はプロレスラーとして活躍する傍ら、2006年に設立した「小川道場」で指導を行なっている。

小川道場 http://www.ogawadojo.com/


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