「死んでもおかしくなかったのに、オレは生かされた......」。廣道純が車椅子生活をスタートさせたのは、高校1年の時、自らが起こしたバイク事故がきっかけだった。父親から車椅子生活の宣告をされた時、15歳の廣道は絶望感ではなく、感謝の気持ちを抱いたという。そして、こう思った。「自分には生かされた意味がある」――。廣道は今、プロの車椅子ランナーとして活躍している。約4カ月後に迫ったロンドンパラリンピックでは、800メートルで悲願の金メダル獲得を目指す。今回はその廣道に、二宮清純がインタビュー。これまでの競技生活を振り返りながら、ロンドンへの意気込み、そして将来の目標を訊いた。

 

二宮: いよいよロンドンパラリンピックが近づいてきましたね。廣道さんはシドニー、アテネ、北京に続いての4大会目となりますが、いかがですか?

廣道: シドニーでは4種目、アテネでは6種目、北京では4種目と、これまでは可能な限りの種目に出場していたんです。それでも800メートルでシドニーでは銀メダル、アテネで銅メダルと結果を残せたのですが、北京ではメダルを逃してしまった。だから、今回のロンドンは2種目か3種目に絞っていきます。

 

二宮: 本命の種目は?

廣道:  800メートルです。まだ獲っていない金メダルを狙っていきます!

 

二宮:  800メートルでは、世界でどのくらいの位置にいるんですか?

廣道: 世界ランキングは5位です。

 

二宮: 上に4人いると。そうすると、この4人を追い抜かないと金メダルには到達しないということですね。

廣道: 自己タイムだけで言うとそうなのですが、レースの展開次第では、どの選手がトップに立ってもおかしくありません。

 

 勝敗のカギは競輪並みの駆け引き

 

二宮:  800メートルはトラック2周ですから、駆け引きといっても、ポイントがたくさんあるわけではありませんよね。

廣道: はい。だからこそ、難しいんです。まずはスタートした時のポジション取りが大事になってきます。最初の100メートルで何番手に位置するかで、その後のレースに大きく影響するんです。それからラスト1周となった時に、どのポジションにいるかで、早くもそこから仕掛ける選手もいれば、残り300メートルのところのバックストレートで出てくる選手もいる。そして残り150メートル、3コーナーあたりで、かわしにいく選手もいますね。自分がどこで仕掛けるかは、レース展開を見極めながら、その時の自分のスピードやスタミナを考えて決めるんです。

 

二宮: なるほど。ここぞという時の勝負どころまで、ある程度、スタミナを温存しておかなければいけませんね。

廣道: そうですね。他の選手につられて、スタートからダッシュして必死に食らいついていくと、一番大事なところでスタミナ切れの状態になってしまいます。

 

二宮: "捲り"や"差し"があるというのは、まるで競輪のようですね。

廣道: もう完全に競輪と同じ駆け引きですよ。わずか2周の中で、先行逃げ切りを狙う選手もいれば、2番手、3番手にいて、最後に差しに行く選手もいます。ただ、競技用車椅子は長いですから、あまり後方にいると、ラストの直線で交わしに行こうとしても、一気に前に出るのは難しい。だからこそ、ポジション取りが重要なんです。

 

(第2回につづく)

 

廣道純(ひろみち・じゅん)プロフィール>

1973年12月21日、大阪府生まれ。高校1年の時、バイク事故で脊髄を損傷し、車椅子生活となる。17歳から車椅子レースに出場し、パラリンピックには2000年シドニー、04年アテネ、08年北京と3大会に出場。800メートルで銀メダル(シドニー)、銅メダル(アテネ)を獲得した。04年3月より日本人初のプロ車椅子ランナーとなる。06年からは「大分陸上」を主催し、日本障害者スポーツのレベルアップを図るとともに、裾野を広げている。400メートル(50秒21)、800メートル(1分36秒85)の日本記録保持者。プーマ ジャパン株式会社所属。

廣道純オフィシャルサイト http://www.jhiromichi.com/


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