廣道純(車いすランナー)第2回「”一人身の自由さ”に魅かれた陸上」

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二宮: 廣道さんが陸上競技を始めたきっかけは?

廣道: 高校1年の時にバイク事故で脊髄を損傷して、車椅子生活になったんです。もともと器械体操をやっていたので、腕の力はありましたから、リハビリの必要性もなく、難なく車椅子に乗れました。それでリハビリの先生からスポーツを勧められて、大阪市の長居障害者スポーツセンターに見学に行ったんです。そこで車椅子ランナーたちの走りを見て、「オレも早く退院して、やりたい!」と思ったのがきっかけでした。

 

二宮: どのくらい入院されていたんですか?

廣道: 11月に入院して、翌年7月にようやく自分の車椅子ができたので退院しました。その間、病院のリハビリ室でウエイトトレーニングばかりやっていましたね。退院した翌日には電車の定期券を購入して、スポーツセンターに通い始めました。

 

二宮: 車椅子競技には他にもバスケットボールやラグビーなど、いろいろありますが、その中で陸上を選んだのは?

廣道: 実は最初、陸上と並行して、バスケットもやっていたんです。当時は神戸のチームに所属していて、日本選手権の決勝にもスタメンで出場したこともあります。でも、性格的に団体競技は肌に合わなかったんでしょうね。一人で自由に、好きなだけ自分のレースのことだけを考えられる陸上一本に絞りました。

 

変わらない専門分野

 

二宮: いつからレースに出るようになったんですか?

廣道: 退院して陸上を始めたのが、1990年7月。その翌年3月に出場したハーフマラソンが初めてのレースでした。その約1カ月後にはフルマラソンに挑んだのですが、周回コースをあと1周というところまで来て、車椅子が壊れてしまったんです。完走目前での悔しいリタイアでした。

 

二宮: もし、そのレースで完走していたら、結果はどうだったんしょうか?

廣道: 明確な順位は忘れてしまいましたが、同じレースを走ったベテランの選手が「若くて威勢のいいのがいきなり上がってきた!」と言ってくれていたことは覚えています。全く実績のない僕は、最後尾からスタートだったのですが、だいぶ追い上げましたからね。その年の「大分国際車いすマラソン」で初めて完走しました。118番目にスタートして、総合30位でゴール。日本人の中では12位に入りました。

 

二宮: 器械体操をやっていた分、腕力には自信があったと思いますが、ハンドリングなど、車椅子競技ならではの技術で苦労したことは?

廣道: それが、苦労を感じた記憶はないんです(笑)。子どもの頃から運動神経は良かったので、車椅子競技に対しても、すんなりとここまできたという感じですね。

 

二宮: じゃあ、いつも体育の成績は優秀だったんですね。

廣道: 体育と図工だけは、5段階中の「5」でした(笑)。

 

二宮: 勉強の方は?

廣道: 得意、不得意というよりも、勉強はしませんでした。早くから自分の分野ではないと割り切っていましたから(笑)。というのも、1つ上の兄が、それこそ優等生だったんです。でも、僕の方が足も速かったし、どんなスポーツも兄には負けませんでした。ですから、子ども心に「アニキは勉強、オレはスポーツや!」と思い込んでいましたね。

 

二宮: 実際、廣道さんは今、スポーツ界で活躍されているわけですからね(笑)。

廣道: よくオヤジにも言われるんですよ。子どもの時から自転車のBMXが大好きだったんですけど、「乗り物が2輪の自転車から、3輪の自転車に代わっただけで、オマエは何も変わっとらん!」って(笑)。

 

(第3回につづく)

 

廣道純(ひろみち・じゅん)プロフィール>

1973年12月21日、大阪府生まれ。高校1年の時、バイク事故で脊髄を損傷し、車椅子生活となる。17歳から車椅子レースに出場し、パラリンピックには2000年シドニー、04年アテネ、08年北京と3大会に出場。800メートルで銀メダル(シドニー)、銅メダル(アテネ)を獲得した。04年3月より日本人初のプロ車椅子ランナーとなる。06年からは「大分陸上」を主催し、日本障害者スポーツのレベルアップを図るとともに、裾野を広げている。400メートル(50秒21)、800メートル(1分36秒85)の日本記録保持者。プーマ ジャパン株式会社所属。

廣道純オフィシャルサイト http://www.jhiromichi.com/

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NPO法人STAND

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NPO法人STAND代表の伊藤数子さんと二宮清純が探る新たなスポーツの地平線にご期待ください。

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