二宮: 車いすテニスの選手には、骨肉腫などの病気で足を切断した選手もいれば、交通事故などで頚椎損傷、脊椎損傷を負い、下半身不随になった選手もいます。指導者は単にテニスを教えるだけでなく、こうしたそれぞれが抱えている事情をきちんと把握して、身体面・精神面のケアをすることも重要になってくるのではないでしょうか?

丸山: はい、そうなんです。一番最初にそのことに気付いたのは、初めて頚損の選手を指導した時です。後にアテネパラリンピックの代表に選ばれた選手なのですが、彼を指導するにあたり、最初に障害について聞くと、「僕、汗が出ないんです」と言われたんです。その時には、もうビックリしてしまいました。汗がかけないということは、熱を放出できないということですから、体温が40度以上にもなってしまいますからね。

 

二宮: それは危険ですね。そういう場合、どうやって体温を下げるんですか?

丸山: 練習中は霧吹きをパーッと体に吹きかけて、汗の代わりにして体感温度を下げるんです。そして練習が終わると、ガンガンと冷房が効いた部屋に1時間くらいこもるんです。こちらからすれば「こんなに寒かったら、風邪をひいてしまうんじゃないの?」って心配になるくらいに体を冷やさないと、彼らの体の熱は下がらないんです。

 

二宮: 命に関わることですから、細かい気配りが必要ですね。

丸山: はい。選手それぞれ全く事情が違いますから、とにかくたくさん勉強しましたね。例えば、「この選手は脊損なんだな」と思っていたら、「いえ、私は二分脊椎です」って言うんです。こちらからしたら「えっ? どう違うの?」って感じでしたけど、これが違うんですよね。生まれつき脊椎の一部が開いたままの状態にある障害なのですが、調べてみると、水頭症などの合併症を起こす可能性もあるというんです。さらに調べると、水頭症は脳ですから、主治医以外は診ることができないと。じゃあ、二分脊椎の選手を海外の大会に連れて行って、そこで水頭症になった場合はどうすればいいのか。そういうことも、きちんと準備した上でなければ、容易に選手を海外に連れて行くことはできないんです。正直、最初の頃は「自分はなんて大変な世界に足を踏み入れてしまったんだろう......」と思いましたね。とにかくわからないことだらけでしたから。

 

 斎田選手から学んだこと

 

二宮: 障害のことを根掘り葉掘り聞くのは、一見、失礼なことのように思われがちですが、指導者にとっては不可欠なことですね。

丸山: はい。だから私は必ず最初のレッスンの時に、詳しく聞くようにしているんです。それは過去の教訓が生かされています。実は今から13年前、現在世界ランキング8位の斎田悟司選手が三重県四日市市から柏に移り、私のレッスンを受け始めたばかりの頃、彼をひどく叱ったことがありました。当時、彼は日本ランキング1位でしたが、世界ではまだトップ10に入っていませんでした。私は「これから世界を目指すわけだから、プレーだけでなく、ウォーミングアップやクーリングダウンなど、ケアも含めてきちんとやっていこう」と話をしていたんです。そして臨んだ神戸での国際大会、斎田選手は見事に決勝に進出しました。ところが、決勝の日、彼はウォーミングアップを全くせずに試合に入り、惨敗したんです。私はもう頭にきて、他の仕事もあったので、何も言わずに柏に戻ったんです。その2日後、コートに現れた斎田選手をつかまえて、「この前の試合は何なんだ? ウォーミングアップもせずに試合に入るなんて、言語道断だ! そんなプロフェッショナルのかけらもないヤツは四日市に帰れ! オレはもう二度と見ない!」と、テーブルを蹴飛ばし、ひっくり返したんです。そしたら「実は、前の晩に幻肢痛で寝ることができなかったんです」と言うじゃありませんか。最初は何のことを言っているのか、さっぱりわかりませんでした。

 

二宮: いわゆる「ゴーストペイン」とか「ファントムペイン」というものですね。切断して、もうないはずの足が痛むという話は、私も医師から聞いたことがあります。

丸山: そうなんです。しかも、その痛みが半端じゃない。アイスピックで足をガッガッと突き刺されたような激しい痛みなんだそうです。でも、当時の私はそんな知識はなかったので、斎田選手から説明をされても、半分「そんなことあるわけないだろう?」と思いながら聞いていたんです。ところが後で調べてみると、本当にあるんですよね。すぐに斎田選手に「オレが悪かった」と謝りました。それからですね、選手の身体について、本気で勉強し始めたのは。今でもまだまだわからないことはたくさんありますが、それでもとにかく「知る」努力だけはするように心がけています。

 

(第4回につづく)

 

丸山弘道(まるやま・ひろみち)プロフィール>

1969年7月20日、千葉県生まれ。公益財団法人吉田記念テニス研修センター(TTC)エリートコーチ。日本車いすテニス協会ナショナル男子チーム担当コーチ。10歳から地元の柏ローンテニスクラブに通い、高校、大学とテニス部に所属。明治大学時代にはインカレにも出場した。大学卒業後、一度は保険会社に就職したが、4年で退職。その後、テニスコーチとなり、TTCのジュニア選手担当コーチを務める。97年より車いすテニスの指導を始め、斎田悟司、国枝慎吾などパラリンピック選手を育成。ナショナルコーチとして初めて臨んだ2004年アテネ大会では男子ダブルスで斎田、国枝ペアを、そして08年の北京大会では男子シングルスで国枝を金メダルに導いた。


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