今なお高校野球史上最高の名勝負と呼ばれる1969年夏の甲子園決勝、松山商(愛媛)対三沢(青森)戦。再試合を含む2試合で球審を務めたのが、このほど野球殿堂入り(特別表彰)を果たした郷司裕さん(故人)である。「今でも東北に行くと言われるんですよ。“あれはボールだろう”と。“ボールだったら、高校野球の歴史は変わっていたのに…”」。生前、郷司さんは苦笑を浮かべて、そう語っていた。

 

 引き分けとなった最初の試合、松山商のエース井上明は232球、三沢のエース太田幸司は262球を投げ、ともに1点も許さなかった。スコアボードを埋めた「0」の数、実に36。球児たちの健康管理のために設けられた「延長18回引き分け、再試合」という大会規定が、初めて決勝で適用されたゲームでもあった。

 

 浜風が止み、日が西に傾きかけた延長15回裏、歴史的な場面が訪れる。三沢は1死満塁とサヨナラのチャンスを掴む。マウンド上の井上はスクイズを警戒した。その結果、スコアボードには3つのボールランプが点灯した。打席の9番・立花五雄は「心臓が口から飛び出す」くらいの緊張に包まれていた。「あと1球で勝つんだと思うと胸がドキドキしてねぇ…」。春夏通じて、東北には1度も大旗が渡ったことがなかった。その負の歴史にやっと終止符が打てるのかと思うと胸が高鳴った。

 

 しかし、ここから井上は踏ん張る。4球目は真ん中高めのストライク。立花は自軍ベンチを振り返る。スクイズのサインを確認するためである。

 

 そして問題の5球目。力を抜いた井上のストレートは真ん中低めへ。立花は、その瞬間、「低い。しめた!」と思った。だが郷司さんのコールはストライク。微妙な判定だった。続く6球目を立花はジャストミートしたが、ボールに飛びついた井上と、それをカバーしたショート樋野和寿の好守に阻まれた。

 

 東北の高校野球ファンが「ボールだろう」と悔やむのは、わからないでもない。だがストライク、ボールの判定は審判の専権事項である。郷司さんが自信を持って判断した以上、それに対する見解は意味をなさない。

 

「東北勢が甲子園で優勝したら、この話も過去のものになるんでしょうねぇ」。口ぶりにはある種の諦観がにじんでいた。残念ながら故人の願いは、まだかなっていない。

 

<この原稿は17年1月18日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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