野中、壁を越える強さ求める ~スポーツクライミング~
壁面に設置されたホールド(突起物)をつたって、ゴール地点までよじ登っていく。スポーツクライミングのボルダリングは、観客に背を向けて壁との戦いに挑む。そのため、腕から背中にかけての筋肉の美しさが際立つのだ。「女子には少ないダイナミックな動きが得意」と言う野中生萌も、クライミング中はその発達した広背筋を披露する。雄々しい彼女は3年後の東京五輪で活躍が期待されるクライマーだ。
2016年8月、リオデジャネイロ五輪開幕前に、その報せは届いた。IOC総会で2020年東京五輪での追加競技種目にスポーツクライミングが採用されたのだ。追加種目候補に挙がっていた時から野中は「選ばれたら金メダルを獲りたい」と力強く宣言していた。
スポーツクライミングは「ボルダリング」「リード」「スピード」の3種目に分けられる。ボルダリングは約3~5mの人工壁をロープなしで登り、クリアしたコース(課題)の数を競う。リードは12m以上の人工壁をロープを使って登り、到達点の高さを争うものだ。スピードは15mの壁をロープを使って、その名の通りタイムを競う勝ち抜き方式である。東京五輪ではこの3種目を混合して行われるという。
東京都出身の野中は9歳でクライミングに出合い、15歳でリード日本代表に選出された逸材だ。14年にはボルダリングW杯に参戦。以降はボルダリングを主戦場としてきた。15年はW杯年間3位、16年は2度の優勝を挙げるなど2位に入った。世界選手権では銀メダルを獲得。トップクライマーへの仲間入りを果たした。
オリンピック競技となったことにより、注目度は飛躍的に高まったスポーツクライミング。競技を代表する選手の1人として、野中も記者会見などオフィシャルな場に立つことも多い。メディアを通じた発言だけでなく、スポーツクライミングの認知拡大に一役買っている。昨年12月17日には、女性限定のボルダリングイベント「Rock Queens」をプロデュースした。彼女にはこんな想いがあったという。
「クライミングは女性だけでもここまで盛り上がれるということをたくさんの方に知っていただきたいと思いました」
国内最大級のクライミングジムのB-PUMP OGIKUBOで行われた「Rock Queens」。予選を勝ち上がってきた選手に加え、野中は野口啓代、キム・ジャイン(韓国)、メーガン・マスカレナス(アメリカ)、メリッサ・レ・ヌーブ(フランス)ら国内外の招待選手を交えた決勝戦に臨んだ。
W杯決勝と同じ1課題4分ずつの制限時間が設けられた。コースセッティングはつま先を乗せるほどしかない小さなホールドや、球体や三角錐、歪なかたちのものまである。端からみればどれも高難度に映る。第2課題は全員が失敗したものの、第1課題と第3課題はトップクライマーたちはクリアしていった。
第4課題目は難易度が極めて高かった。スタート地点から左側にある次のホールドまで、飛びつかなければいけないほどの距離がある。さらには角を曲がった先にあるため、勢いをつけて掴むと身体が外側へ振られる状態になるのだ。他の選手はホールドをキャッチできず、何度もマットに投げ出された。野中に回ってくるまで成功者はゼロ。誰の目にも難攻不落の壁に映った。
だが野中だけは違った。1手目のホールド掴んで離さない。身体は大きく横に揺れたが、上腕と背筋でそれを支えた。2手、3手とすいすい進んだ。最後のゴール地点に飛びついて完登した。「1手目から止まる感覚がなくて、とりあえず身体を動かそうと思ってやりましたね。やったという気持ちよりもビックリしました」
4課題中3課題を完登したのは野中のみ。自らプロデュースした大会で女王の座に就いた。「プレッシャーの中で勝利を勝ち取るのはすごく気持ちがいい。東京五輪はもっとレベルが高いと思うので、そういう場所で優勝したいなという気持ちになりました」と笑顔を見せた。
<強くなりたい>
そう野中はインタビューや対談で度々、口にする。強さへの憧憬。いや渇望と言っていいかもしれない。彼女が描く強さとはなにかーー。
「トータルのレベルが高いことです。肉体的にも、オブザベーション能力、クライミング能力、メンタル、そして人間的にも優れた人。すべてにおいてすごい人ですね」
今月28日には、ボルダリングジャパンカップ(BJC)が開幕した。優勝候補に挙げられる野中は予選を通過し、準決勝にコマを進めた。BJCには2011年から出場しており、最高成績は昨年の3位である。野中は「あまり初優勝は狙っていない。目標はW杯なのでBJCにフォーカスは置いていない」と口にするが、日本一の座を掴むことが強さの証明にもなるはずだ。
「去年よりもメンタル、肉体ともに強くなった」
成長を実感する19歳は、更なる高みを目指す。
<野中生萌(のなか・みほう)プロフィール>
1997年5月21日、東京都生まれ。9歳の時に父の山登りのトレーニングがきっかけでクライミングを始める。13年にリード種目でW杯に日本代表に選出。翌14年にボルダリングW杯に日本代表として出場し、6大会中4大会で決勝進出を果たす。15年は年間3位。16年はW杯第4戦のナビムンバイ大会で初優勝を果たすと、最終戦のミュンヘン大会でも優勝。年間2位に輝く。世界選手権でも銀メダルを獲得。柔軟性を活かしつつ、ダイナミックなムーブで魅了するクライマー。身長162cm。
(文・写真/杉浦泰介)