町道場と聞いて思い出すのは、北辰一刀流の開祖・千葉周作の「玄武館」である。門下から幕末のスターを多数輩出している。全盛期には3000人を超える弟子がいたという。

 

 坂本龍馬も、そのひとりだ。龍馬の場合、周作の実弟である定吉の弟子筋にあたる。定吉の長男・重太郎の妹が佐那、すなわち龍馬の婚約者である。

 

 江戸時代後期、町道場は単に剣術や柔術の腕を磨く場ではなく、近代思想に触れ、知見を広め、高ぶれば天下国家をも論じる武人と文人が織りなすサロンでもあったのだ。

 

 それから幾星霜、現代の町道場は、異業種交流のプラットフォームともなっている。「県庁職員、警察官、自営業、サラリーマン、学生、OL、主婦に子供たち。いろいろな職種の人たちが集まってくる」。こう語ったのは高知でフルコンタクト空手団体・新極真会三好道場を主宰する三好一男だ。

 

「たとえば不動産屋さんからは、どこそこの土地が売りに出ているよ、という情報がよく入る。事業を始めたいと考えている人にとって、これは貴重な情報。そこに電気屋さんがいれば、“照明設備や配線はぜひウチで”という具合にビジネス話が発展していく。皆道場生ですから、わざわざ名刺を出して、“私はこういうものです”と自己紹介する必要もない。役所の職員もいますから、どういう認可が必要か、書類が必要かということまで、その場で確認することができる。道場は一義的には心身鍛錬の場ですが、人間関係の構築にも役立っているんです」

 

 近年、道場では弟子同士の結婚が相次いでいる。こうなれば、“婚活の場”でもある。一昔前までは考えられなかったことだ。今後は町道場を社会的なインフラとしてとらえることも必要になってくるだろう。

 

「限界自治体」という言葉がメディアをにぎわし始めたのは1990年代に入ってからだ。65歳以上の高齢者の増加で冠婚葬祭など社会的な営みが困難になってきた自治体を指す。これを受け、自治体機能を維持する試みとして「コンパクトシティー」などという概念が生まれた。行政コストを削減するには無駄を省き、身を寄せ合って生きるしかないのだと。

 

 だが、人はパンのみで生きるにあらず――。集い、喜びを分かち、共感する。いわば“心のインフラ”こそが必要なのだ。今後、町道場は疲弊する自治体のオアシスの役割をも担うことになる。

 

<この原稿は17年3月7日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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