愛媛FCは14日、イヴィッツア・バルバリッチ監督の退任を発表した。後任は未定。クロアチア出身のバルバリッチ監督は2009年9月、前任の望月一仁監督の解任に伴い、シーズン途中に就任。今季が4年目のシーズンだった。クラブは今季、プレーオフ進出圏内の6位以上を目標に掲げていたものの、後半戦に入って勝てない試合が続き、12勝14分16敗の勝ち点50で16位に終わった。10月末には息子の容態が思わしくないため、帰国しており、青野慎也コーチが監督代行を務めていた。実際の契約は来季までだったため、事実上の解任となる。
 J1昇格への基礎固めを期待されたクラブ初の外国人指揮官だったが、思うような結果をシーズン通して残せず、志半ばでチームを去ることとなった。
 バルバリッチ監督が就任以降、徹底していたのは組織的な守備。DFラインのスライドを早くし、誰かがボールにチャレンジに行った際は、空いたスペースに周囲の選手がカバーに入るスタイルで安定した守りを構築した。就任2年目の2010年にはリーグで2番目に少ない失点数で、“愛媛=堅守”のチームというイメージを定着させた。この年は12勝12分12敗と、11位ながら初の勝率5割を達成。今季は初めて総得点が失点を上回った。

 一方で懸案だった得点力不足には悩まされた。2010年はFW福田健二の7ゴールがチームのトップという寂しい成績。1試合の平均得点が1点に満たなかった。昨季は齋藤学(現横浜F・マリノス)、今季は有田光希と若いストライカーが2ケタ得点をあげたものの、彼らに続くゴールゲッターをなかなか確立できなかった。前線の組み合わせは試行錯誤の連続で、交代で投入できる攻撃の切り札も乏しかった。

 何より改善できなかったのは好不調の波の大きさだ。2010年には9試合、翌11年には13試合、今季も13試合とリーグ戦で勝てない時期が続いた。11年には一時的に3位に浮上(最終的には15位)。今季も前半終了時は9位につけながら、そこからズルズルと低迷してしまった。原因は故障者や疲労の蓄積、選手層の薄さなどさまざま挙げられるが、何より「失敗を恐れ、消極的で責任逃れのプレーをしてしまう」と監督が指摘していたチームの弱い風土を変えられなかった。

 バルバリッチ監督は納得いかない判定や気の抜けたプレーには怒りを爆発させる情熱家。ただ言葉の壁もあり、その熱い気持ちが選手たちにはうまく伝わらない面もあった。どうしても負けが込むと監督の顔色をうかがってプレーする選手が出てしまったのも事実だ。結果が出ないと、どんな組織でも内部でぎくしゃくするものだが、それをお互いのコミュニケーションで早期に解決し、好転させられなかった。

 もちろん結果が出なかったのは指揮官だけの責任でも、選手の問題だけでもない。地方クラブの悲哀で予算は限られ、監督が思うようなタクトを振るえる体制も十分、整えられなかった。
「毎年、活躍した選手が抜けてしまっては、なかなかJ1昇格を狙えるチームづくりは難しい」
 常々、バルバリッチ監督はそう漏らしていた。それは裏を返せば「もう何人か選手を確保してくれればJ1を狙える」という手応えにも聞こえた。

 補強のみならず、環境面でも監督の思い描いていた理想と現実は乖離していた。シーズンを戦い抜く体づくりを司るフィジカルコーチ、若い選手が規則正しい生活の中でコンディションを整える寮や食堂設備、ホームグラウンドと同じ環境で練習できる天然芝グラウンド……。いずれもJ1を本気で目指すクラブであれば必要になってくるものである。

 クラブを変えようとクロアチアから監督を招聘したフロントの目は確かだった。指揮官も限られた戦力の中で上位を狙える可能性を示し、功績を残した。バルバリッチ体制の3年強を踏まえ、クラブがさらなる飛躍を遂げるためにどうすべきか。今後の監督人事、そしてチームづくりは来季以降の愛媛FCの行方を大きく左右する作業となる。

(石田洋之)