愛媛・松山商高などで指揮を執った高校球界の名将、一色俊作氏が24日、虚血性心不全のため死去した。75歳だった。愛媛県松山市出身の一色氏は1963年に母校の松山商高監督に就任。69年夏の甲子園決勝では、三沢高(青森)と延長18回の激闘の末に引き分け、翌日の再試合を制して全国優勝に導いた。その後、新田高の監督に就任すると、90年春のセンバツでは初出場ながら劇的勝利の連続で準優勝。チームは「ミラクル新田」と呼ばれた。甲子園には4回出場して11勝3敗1分(優勝1回、準優勝1回)の好成績を残し、野球王国・愛媛を象徴する指導者だった。
(写真:2008年、松山市内での二宮清純とのトークショーに出席した一色氏)
 当サイトでは一色元監督に二宮清純が行ったインタビューを掲載し、故人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 高校野球の原点は守り

二宮: 金属バットの弊害なのでしょうか。最近の高校野球を見ていると、“打高投低”の印象を強く持ちます。
一色: 高校野球の原点といったら、やはり守りでしょう。守りさえきちんとしておれば、ある程度は野球になったものです。ところが、最近は本当に守りが下手になってしもうた。松山商の4度目の全国制覇が昭和44年ですが、あの頃に比べると雲泥の差ですね。

二宮: どこに原因があるのでしょう?
一色: 一番は指導者でしょうね。僕も今は体力がないもんだから高度なノックはできんようになった。しかし、昔はマンツーマンのノックで野手を鍛え上げていったものです。守備で気を抜くクセを覚えると、バッティングも走塁もすべて気を抜くようになってくる。ひいてはチームの空気が緩んでくる。だから指導者は絶対に妥協しちゃいけないんです。指導者も手を抜かずに自分と勝負せにゃ……。

二宮: かつての松山商の教え子に話を聞くと、一色監督のノックはグローブを精一杯伸ばして捕れるか捕れないか、ギリギリのところにボールが飛んできたと……。つまり、そういうコースを狙い打つことによって5センチ、10センチ、30センチ……と守備範囲を広げていったわけですね。
一色: そうですね。まぁ、守備というものはバッティングと違って運不運がないからね。100パーセントに近づけようと思ったら、これは数を重ねるしかないんです。
 僕はノックのためのノックはやりません。体を開きながら、つまり野手にコースを示唆してノックする人がいますが、これじゃ練習のための練習で終わってしまう。野手が予測できんようなノックをせにゃいかん。だからノックしている時は、そりゃもう一対一の真剣勝負ですよ。“コイツをうまくしてやろう”という愛情が指導者の側になければ選手は成長しませんよ。

二宮: そういう職人肌の指導者が少なくなって……。
一色: それはありますね。僕なんて宮大工のようなものじゃから(笑)。

二宮: 選手ひとりひとりを手作業で育てるわけですね。
一色: 大切なのは基本の繰り返しです。今の社会の傾向として、しんごいことは避けたい、単純なことはしたくない……という思いがあるようですけど、これでは野球はうまくなりませんよ。
 守備にしても、なぜ最近、ファンブルや暴投が多くなったかというと、飛んできたボールを完全にグラブで殺していないからですよ。ボールを殺す。グラブから抜く。投げる。この基本動作ができていないんです。だから悪送球が多い。きちんとボールを握っていないことに加え、腰が砕けたまま手だけで投げよる。これじゃ送球も定まりませんよ。県予選で早めに負けるような学校はともかく、甲子園に出てくるような学校でも、こうした基本ができていない。だから一方的なゲームが多くなってきているんです。
 もっとも、それはバッティングに対しても言えることです。守備よりはバッティングのほうが楽しいから一生懸命練習するけど、下半身を鍛え、腰で打たんことにはいい打球は飛ばん。当てるだけじゃダメです。とにかく上っ面だけ、表面だけという練習が最近は多くなったような気がする。気持ちいいばかりじゃうまくならんですよ。

二宮: 指導者の側にも随分、反省する点はあると?
一色: 特に今の子供は目だけでモノを覚えようとするんです。話を聞いてわかったような気になっているが、実は何もわかっていないんです。それを繰り返し教えるのが指導者の責任じゃないでしょうか。
 と言うと“もっと子供をのびのび”とか、“自由にやらせるべき”という反論が返ってきそうですが、応用編はともかく基本はきっちり指導者が教えるべきだと思います。高校を卒業後、大学や社会人に行く子もいれば、プロに入る子もいるでしょう。あるいは野球をやめてしまう子もいるかもしれない。しかし、この時期にきっちり基礎を叩きこんでおけば、どこに行っても応用がきくんです。
 生徒がちょっと不満を言うと、“そうか、わかった”といって受け入れる。こういう指導者は、まわりには“モノ分かりがいい”と映るかもしれませんが、僕に言わせれば責任回避です。指導者は居心地のいい道を選んではダメです。生徒と一緒になってしんどい思いをし、苦しまなくちゃダメです。

二宮: かつては私も“高校野球はもっとのびのびやらせなくちゃダメだ”と思っていました。しかし、この“のびのび”という言葉を間違って解釈している指導者が多い。指導者は自らに妥協せず、基礎はきっちり教える。そのかわり鋳型にはめ込まない。基礎ができれば、おのずと野球も楽しくなってくる。ここではじめて選手の自主性や創造性が発揮されると思うのです。順番を間違ってはいけない。
一色: そのとおりです。それを知っていて、最近の指導者はモノを言わんのか、それとも本当に知らないのか……。いずれにしても、中途半端なままで放りだすのは生徒にも気の毒なことですよ。“野球ばかりが人生じゃない”という考え方もありますが、せっかく3年間やるんだったら、少しでもうまくなりたいでしょう。違いますかねぇ……。

二宮: “鉄は熱いうちに打て”と……。
一色: そういうことです。高校生は、まず気持ちが純粋だし、体力的にもこれからでしょう。教えたら教えただけ伸びる時期なんです。ここで放ったらかしておくのはもったいないですよ。

<このインタビューは『えひめ雑誌』(1999年8月号)に掲載された内容を抜粋したものです>