DSC03392トリミング済み 中学生時代、柏レイソルジュニアユースの輪湖直樹は左サイドハーフでエースとして君臨していた。中学卒業後、2005年4月に柏レイソルユースへの昇格を果たす。順調にステップアップしていたが、ここから輪湖を取り巻く状況が変わるのだ。

 

 柏の育成組織の編成上、中学生は学年ごとでチームを組む。一方、高校に上がると1年生から3年生までが一括りとなる。その中でAチーム、Bチームと分けられるのだ。当然、Aチームがレギュラー格である。

 

 輪湖の高校1年生時、Aチームの左サイドハーフは彼の1学年上の選手が務めていた。輪湖はBチームに配属されてしまう。本人は当時をこう、振り返る。

「今までは自分は選手として必要とされていました。高校に入ってからは、必要とされていないのかな、と感じてしまったんです」

 

 輪湖は難しそうな表情を浮かべ、歯切れが悪そうに続けた。

「そこで少し、腐ってしまったわけではないのですが……。今までの一生懸命さがなくなってしまった。今、振り返ってみると、高校1年生の時は本当に勿体ない時間を過ごしてしまった」

 

 そんな輪湖の変化に気がついた人物がいた。ジュニアユース時代、輪湖の指導をしていた吉田達磨(現・ヴァンフォーレ甲府監督)だ。吉田は現役時代、柏などに在籍。引退後は柏アカデミーの指導者となっていた。吉田は腐りかけている輪湖に「オマエ、このままじゃダメだぞ」と叱咤した。

 

 翌年1月、3年生が引退。新チームを発足させる時期が来た。Aチームにおける左サイドハーフのレギュラーには依然として1歳上の選手がいる。このままの序列では2年生になってもAチームに上がれない。ここで輪湖は一念発起する。

 

「このままじゃダメだと思った。がむしゃらに1つ1つ手を抜かず、丁寧に練習に打ち込みました」と本人は語る。心を入れ替えた輪湖に指導者たちも気がついたのだろう。そのひた向きな努力が実り、彼は上級生からレギュラー奪取に成功。競争に勝ち、再び“必要とされる選手”となった。

 

 Aチームで定位置を掴むと輪湖は水を得た魚のようにプレー。サッカーの楽しさを再確認した。Aチームでの緊張感のある場が輪湖に大事なことを思い出させる。それはドリブラーとしての感覚だった。「試合に出ている時の記憶がよみがえってきた」。敵陣を切り裂くドリブルで評価を高めた2年生レフティーは、最高学年に上がると新たなステージへと上がるのだった。

 

 背中を押したのは吉田達磨

 

DSC03414トリミング済み 3年生になった輪湖は春先にトップチームのキャンプに帯同するチャンスを得る。ここで彼は衝撃を受けたという。手の届きそうな1段上の目標ならば奮起もする。だがトップチームの選手たちは当時の輪湖の3段も4段もレベルが上だった。

 

「午前は筋力トレーニングや走り込みのメニュー。そして午後にボールを使ったトレーニング。こっちはもう、午前のトレーニングでヘトヘトなのにトップの選手は普通にプレーをしていた。この時にレイソルのトップでオレはやっていけないと感じました」

 

 当時、輪湖はトップチームに昇格できるかどうかのボーダーライン上にいた。関係者には「昇格の合否が決まるのは10月あたり」と言われた。それならば、と輪湖は路線を変更する。

「もし、10月に “トップに昇格はできない”と言われた場合、(締切の早い推薦入試で)大学に行けない。“それじゃあ、トップ昇格はいいです。大学に行きます”とクラブ側に伝え、受験の準備を始めました」

 

 推薦の大学進学を目指し、書類を揃え始めた。小論文対策の参考書も2冊ほど購入した。ところが、受験生にヴァンフォーレ甲府から「3日間練習に参加してほしい。合否はすぐに出す」とオファーが届いた。

 

 輪湖はひとまず、言われた通りに甲府の練習に参加してみることにした。当時の甲府はショートパスを基盤としたポゼッションサッカー。甲府は水が合った。「この時の甲府のサッカーがレイソルユースのサッカーにすごく似ていた。それで練習もスムーズにこなすことができました。これはオレにとって大きかったですね」

 

 3日間のトライアルを経て輪湖は合格を勝ち取る。しかし、即答はせずに一度話を持ち帰った。輪湖は「それでもオレは大学に行こう」と思っていた。ここで彼の考えを改めさせた人物がいる。コーチの吉田だった。吉田は輪湖が高校2年の時にユースのコーチに復帰していた。

 

 輪湖は吉田に、こうアドバイスを受けた。

「みんながプロに行きたくても行けない。行けるのは、ほんの一握りだ。(オファーがあるのに)プロに進まないのは勿体ない。もし2、3年プロでチャレンジしてダメだったら大学に行けばいい。それからでも大学受験はできるだろう」

 

 柏のトップでは歯が立たなかった。それならば、と大学受験を決意した矢先のオファーだった。舞台はJ2だが、輪湖にとって悪い話ではなかった。吉田に背中を押された輪湖は甲斐の国でプロキャリアをスタートさせる。

 

(最終回につづく)

 

DSC03410プロフ<輪湖直樹(わこ・なおき)プロフィール>

1989年11月26日、茨城県取手市生まれ。宮和田FC-柏レイソルU‐12-柏レイソルU‐15-柏レイソルU‐18-ヴァンフォーレ甲府-徳島ヴォルティス-水戸ホーリーホック-柏レイソル。柏のアカデミーで育ち、U-15、U-17、U-20日本代表にも選ばれた。2008年に甲府でプロデビュー。14年、柏に“復帰”した。熱い気持ちと冷静さを兼ね備えた左利きの貴重なサイドバック。身長171センチ、体重65キロ。J1リーグ通算82試合出場4得点(8月7日現在)。

 

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(文・写真/大木雄貴)

 


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