この負けは、非難できない。すでに本大会出場を決めている側が、勝つ以外に道のないホームチームと戦ったのである。どんな強豪であっても、あるいはどんな名将に率いられたチームであっても、苦戦は免れなかったことだろう。

 

 個人的には、予選でのMVPは原口だと思っている。彼は一式戦から四式戦になった。つまり、隼から疾風になった。旋回能力に優れた軽戦闘機から、攻撃力、防御力のどちらにも優れた重戦闘機になった。長谷部が代表の定位置を獲得した時と同じ、いや、それ以上に「今後の日本は彼のチームになるのでは」と予感させられたプレーぶりだった。

 

 ハリル監督の仕事ぶりにも拍手を送りたい。オーストラリア戦でものの見事にはまった攻撃的な守備は、この日もかなりの効果を発揮していた。後半の途中まで、サウジアラビアにほとんど何もさせなかったのは大いに評価できる。

 

 ただ――。

 

 予想した通り、予選を突破したことで一躍ハリルホジッチは名将として祭り上げられ、彼のやり方こそが正しいのだという声が目につくようになってきた。

 

 ライトなファン、若いファンが勝って浮かれるのは微笑ましい。だが、事実に混じって囁かれるまことしやかな嘘までが通用するようになってしまっては困る。

 

 ハリル監督は相手によって戦術を変える(その通り)。このやり方は、強豪相手と戦うW杯でこそより効果を発揮する(それもそうだろう)。そもそも、世界的に見れば弱小にすぎない日本が、自分たちのサッカーなどと言っていたのが間違いだった(ちょっと待ってくれ!)。

 

 自分たちでボールを保持し、試合の主導権を握って進めるスタイルは、強いチームだからできることなのか? 断じて違う。クライフが出現した時のオランダは世界的な強豪だったのか? ペップが監督になった時のバルサは、レアルに大きく水をあけられていたのではなかったか?

 

 対策のサッカーそのものを否定する気はない。対策のサッカーだからこそ、82年のイタリアは美しいブラジルを倒すことができた。だが、対策のサッカーがそうであるように、主体性にこだわるサッカーも、本来は強いチームを倒す手段として考えられたものである。困難で時間のかかるやり方ではあるが、強者にしか許されないやり方ではない。

 

 20世紀の後半から、次はアフリカの時代が来ると言われ続けている。だが、自分たちのサッカーを構築することなく、対策ばかりのやり方に流れた彼らは、いまだ足踏みを続けている。

 

 半面、あのころ見向きもされなかったメキシコは、ボール保持のサッカーにこだわり続けたことで、世界的な地位を獲得した。一方、前回W杯でハリル監督のもと目ざましい躍進を遂げたアルジェリアは、今回、あっさりと予選敗退が決まった。

 

 対策のサッカーには即効性がある。ただし、監督が去ると効能は消える。わたしが望むのは、勝つ日本ではなく、勝ち続ける日本、結果だけでなく内容でも世界を驚かせる日本である。対策主義者へ鞍替えする気には、やはりなれない。

 

<この原稿は17年9月7日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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