群馬ダイヤモンドペガサスの伊藤拓郎です。今シーズンの群馬は前後期優勝を果たし、地区チャンピオンにもなりました。残念ながらリーグチャンピオンシップでは敗れましたが、群馬の皆さんの応援で最後まで戦うことができました。また個人としては最多勝(13勝)と最多奪三振(123奪三振)のタイトルに輝きました。これも周囲の皆さんのサポートのおかげだと思っています。ありがとうございました。

 

 無理せず自然体のトレーニング

 今シーズンを振り返ると、昨シーズン終盤から自分で「いい感じだな」と思っていた感覚をそのまま持続できた気がします。ブルペンだけでなく試合でも自分の思っているボールがいくようになり、スピードも上がりました。今シーズン、最速144キロを記録して、平均でも140キロが出ていました。高校時代に148キロを出したことがありますが、その後、球速が落ちてしまいなかなか戻らなかったのでとても嬉しいです。また速さやキレだけでなくコントロール精度も上がりました。

 

 そして何よりも調子の波がなく、1年を通してコンディションを維持できたのが大きかったと思っています。

 

 特にトレーニングや調整法を変えたわけではありません。登板と登板の間にルーティンとして決めていることはありません。その週によって体の調子も違うので、そのときに合わせた強度のトレーニングや調整をしていました。23試合に登板して160と2/3イニングを投げられたのは、反対に無茶なトレーニングをしなかったからかもしれませんね。「やらなきゃ」と体に無理をさせていたら最後まで投げられたかどうか……。。

 

 横浜DeNAを戦力外になってBCリーグの群馬に入り3年が経ちました。今、振り返ると最初の年、15年はまだ自分の中で独立リーグで投げているという現実を受け入れることができていなかった気がします。気持ちの面でブレがあったから結果(6勝6敗、防御率4.81)にも表れたのでしょう。

 

 BCリーグはNPBに比べればもちろん環境は整っていないし、試合に行くときの移動距離も長くて非常に疲れます。それを当初はマイナスにしか考えていなかったんですが、変わったのは1年目のオフ、オーストラリアのウインターリーグに参加してからです。

 

 オーストラリアでは考える時間もあったし、何よりも野球をするのが純粋に楽しかった。その中で思ったのは「置かれた環境を言い訳にするのはやめよう」ということです。またオーストラリアの経験で、自分の現状を客観的に見られるようになりました。

 

 群馬は当時、今もそうですが、投手コーチがいないんです。それが逆に幸いしてうちの投手陣は自分で考えて、何でも自分でやるのが当たり前になっています。僕も自分を客観視するようになってから、「今度はこうしてみよう」と考えて様々なことを試したのも良かったと思っています。

 

 投手陣のリーダー

 その他、今年、成績がアップした理由をあげるなら、投手陣のリーダーとして責任感が芽生えたという面もあります。24歳と野球選手ではまだ若い方ですが、チームの投手陣では年長なんです。だからシーズンに入る前から自分がリーダーになって引っ張っていかないと、という意識がありました。

 

 そのためには先発したらできるだけ長いイニング、最低でも7回までは投げて後ろにバトンを渡そうと思っていました。「もう交代だぞ」と言われるまでは、とにかくマウンドにいよう、と。信濃グランセローズとのリーグチャンピオンシップ第1戦で完投勝ちを収めましたが、あの試合に限らず、今年は常に「最後まで投げきる」と思っていました。

 

 この時期になると「今年も(12球団合同)トライアウト受けるんだろ。楽しみにしているぞ」と言われますが、今回は受験しません。これまで毎年受けていましたが、今季開幕前にふと思ったんですよ。「あれ、俺ってトライアウトに照準を定めてないか?」って。これまで当たり前のようにトライアウトを受けていたんですが、チームの一員として「何か違うんじゃないか」と思いまして……。今季は群馬のシーズン、群馬で立つマウンドを何よりも優先しようという気持ちでした。

 

 高校の3年間、NPBのDeNAに入って3年、そして群馬では3年目に初タイトルを獲得できました。なぜか僕の球歴は3年刻みで区切りが来ています。こんなことを言うとユニフォームを脱ぐ(引退する)んじゃないかと思われますが、NPB復帰という夢に変わりはないし、できるだけ長く野球選手を続けたい気持ちもあります。これからも応援をよろしくお願いします。

 

<伊藤拓郎(いとう・たくろう)プロフィール>
1993年4月2日生まれ。小学2年から野球を始めて中学時代はリトルリーグに所属。中3年時はAAアジアチャレンジマッチ日本代表に選出された。帝京高に進学し1年夏、甲子園でベンチ入りを果たすと、3回戦(九州国際大附属高)で148キロを記録した。甲子園には2年春のセンバツ、3年夏と計3度出場した。帝京時代は2学年上に原口文仁(阪神)、1学年上に山崎康晃(横浜DeNA)がいた。11年秋、ドラフト9位でDeNAに入団。プロ1年目の12年に2試合に登板したが、以後、登板の機会はなく14年に戦力外となった。15年、BCリーグ群馬ダイヤモンドペガサスに入団。1年目6勝6敗、2年目8勝2敗の成績をあげて、今季は13勝6敗、防御率2.58、123奪三振。最多勝と最多奪三振のタイトルを獲得した。身長185センチ、体重90キロ。右投右打。


◎バックナンバーはこちらから