石川ミリオンスターズの寺田光輝です。ドラフトで横浜DeNAから6位指名をいただきました。当日はライブ配信で指名の瞬間が流れていて、新聞にも書かれましたが、まさに「え、本当にオレ? 間違いじゃないの?」という感じでした。DeNAからは調査書が来てなかったこともありビックリしましたね。でも先日、DeNA球団から指名挨拶を受けて、「うちは右の変則サイドスローを探していた」と言われ、「あ、戦力で求められているんだ」とプロ(NPB)に行く実感がわいてきています。

 

 挫折からの逆転が得意技

 野球を始めたのは小学校3年からです。最初は友達に誘われてサッカーチームに入るところだったのですが、なぜかたまたま家にあったオモチャのグローブとボールで壁当てをしたら楽しかった。「ボールを投げるのって面白いな」と感じて、地元の野球チームに入りました。父を含めて周りに野球をしている人はいなかったので、なぜグローブがあったのか不思議なんですが。

 

 ポジションはずっと外野手、レフトをやっていました。中学でも野球部に入ったけどケガでそんなに試合には出られず、投手に転向したのは高校(三重県立伊勢高)からです。同級生に左投げのエースがいましたが、彼がケガをしたこともあり高3の春と夏は背番号1をもらえました。甲子園? いやー、そんな大舞台とは無縁の学校ですよ。僕らが春の県大会ベスト4に進んだとき「36年ぶり快挙!」と言われたくらいです。ただそれも4つ下のチームが秋季大会準優勝(2013年)を果たして霞んでしまいましたが。

 

 高3夏の県大会は4回戦でコールド負けでした。相手は菰野高。僕は0-1とリードされた4回、満塁の場面で2番手としてマウンドに立ちました。ストライクが入らず、最悪のピッチングで4回に3点、5回に4点をとられて1-8の惨敗。完全に独り相撲で、こんなピッチングで最後の夏を終わらせて「仲間に悪いな」と感じました。そのときに「プロ野球選手になろう」と決めたんですよ。

 

 大学に行って野球を続けてプロ野球選手になって、いつか球場を貸し切って高校時代のチームメイトともう1回野球がやりたい。それがプロを目指すモチベーションでした。でも大学卒業時にドラフト指名もなく就職も考えましたが、それで叩いたのがBCリーグの門でした。

 

 独立リーグはプロとはいっても厳しい環境だと聞かされていました。でも、実際に入ってみると想像していた程ではなく、反対に高校、大学時代とは違って1日、24時間を野球だけに使うことができる。ある意味で最高の環境でした。

 

 石川には2年間お世話になり、1年目は前後期優勝を果たすほどチーム力があったものの、2年目は前期5位、後期4位と苦しいシーズンでした。両極端の2シーズンで学んだことは、「自分に足りないことはチームが補ってくれる」ということと、「自分のミスが負けにつながる」ということです。後者では「ミスしちゃいけない」と意識しすぎて気負ってはいけないことも学べましたね。

 

 実はBCリーグに入ったのはNPBを目指すためと言いつつ、「野球を諦める」ためでもあったんです。BCはよく「夢を見る場所でもあり、夢を諦める場所」と言われますが、僕の場合は後者の意味合いが強かった。それがなぜ再びやる気に火が付いたかというと、石川に入って最初の登板、北陸大相手のオープン戦で打たれたからなんです。

 

「国立大だし、ここは軽く抑えられるだろう」と思ったわけではないのですが、2死はとったものの、その後ツーベースを含む3本のヒットを打たれて2失点。野球を諦めるどころか、このままじゃ終われないと闘志に火が付きました。

 ピッチングコーチの多田野数人さんにも「お前、ここからだぞ」と励まされて、そこから心機一転頑張りました。

 

 自分の武器はカットボールですが、NPBで活躍するためにはもっとストレートを磨かなければいけないと思っています。1月の合同自主トレ、2月のキャンプでついていけるように、このオフはトレーニングでタフな体を作りたいと思っています。

 

 そういえば昨オフは巨人の田原誠次投手と自主トレをご一緒したんですよ。長谷川潤(巨人・16年育成D8位)が石川ミリオンスターズ出身で、「田原さんと自主トレするけど一緒にどう?」と誘ってもらい実現しました。田原さんはいろんな場面で起用されていますが、そうした人のトレーニングを間近に見られたのは貴重でしたね。同じ右のサイドスローとして、目標であり憧れの選手です。

 

 同世代の選手では菊池雄星投手がいますが、テレビで見ていたスター選手です。ただ自分もNPBに行くことになって、同じフィールドで戦う資格を得ました。少しでも追いつけるように頑張ります。

 

 DeNAでの目標はまずワンポイント、そしていずれは1イニングを任せられる投手になること。まずは「DeNAに右のサイドスロー、寺田というのがいる」と覚えてもらいたいですね。

 

 高校野球部のグループLINEがあるんですが、ドラフト指名後は「信じられない!」「寺田、本当か?」「伊勢高、初だろ」と盛り上がっていました。たぶん伊勢高出身のプロ野球選手は初めてなので、母校のためにも頑張りたいです。

 

 これまで2年間、僕を応援してくれた石川の皆さん、そしてチームメイト、監督、コーチ、スタッフの方々、全員に感謝しています。175センチと大きくもない体でも、変則サイドスローという武器があれば通用する、というところを見せたいです。これからも応援よろしくお願いします。

 

寺田光輝<てらだ・こうき>プロフィール
1992年1月5日、三重県生まれ。小学3年生で野球を始め、中学までは外野手(主にレフト)。伊勢高校進学後、投手に転向し、3年春の県大会はベスト4まで進んだ。夏の大会は4回戦で菰野高にコールド負け。卒業後、一旦は三重大学に進学するが、より厳しい環境を求めて二浪の末に筑波大に進学。同校野球部でリリーフとして活躍した。卒業後、トライアウト受験を経てBCリーグの石川ミリオンスターズに入団。ルーキーイヤーの16年からリリーフを務め40試合に登板。変則サイドスローからのカットボールで打者を翻弄し、3勝1敗19S、防御率1.11とチームの前後期優勝に貢献した。2年目の17年は35試合に投げ3敗10S、防御率2.41。同年秋、横浜DeNAからドラフト6位指名を受けた。右投右打。身長175センチ、体重73キロ。


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