(写真:沖縄出身の具志堅会長<左>と比嘉)

 圧巻の勝利だった。

 2月4日、沖縄県立武道館で行われたWBC世界フライ級タイトルマッチ。王者・比嘉大吾は、挑戦者モイセス・フェンテス(メキシコ)に初回KO勝ちし、日本タイとなる15試合連続KO勝ちを記録した。軽量級とは思えぬパワフルなファイトスタイル。今後、さらなる進化が期待できそうで大いに楽しみだ。

 

 さて、この一戦は沖縄で行われたわけだが、それは37年ぶりのこと。比嘉の師である具志堅用高のラストファイト(1981年3月8日、vs.ペドロ・フローレス、12ラウンドKO負けでWBA世界J・フライ級王座14度目の防衛に失敗)以来となる。

 

 また、比嘉の試合は沖縄での4度目の世界戦と報じられていた。

 

 具志堅vs.フローレス以前の沖縄での世界戦といえば、フリッパー上原が、王者ラファエル・オルテガ(パナマ)に挑み15ラウンド判定で敗れた試合(77年5月29日、WBA世界フェザー級タイトルマッチ)は、すぐに脳裏に浮かぶ。だが、もう一つが思い出せなかった。

 

 調べてみると、その2年前、75年12月17日に、WBC世界J・フライ級タイトルマッチ、王者ルイス・エスタバ(ベネズエラ)vs.挑戦者・島袋武信が行われていた。この一戦が沖縄での初の世界タイトルマッチということになる。

 

 こうなると気になることがある。

 世界タイトルマッチの開催地は東京と大阪に集中しているが、47都道府県の中で、一度も行われていないところはいくつくらいあるのだろうか?

 

 調べてみた。

 結果は13県。

 

 岩手、山形、新潟、群馬、長野、福井、滋賀、鳥取、島根、山口、徳島、佐賀、長崎では世界戦が行われていない(ただし、長野では女子の世界戦は行われている)。ちなみに、この中で、日本ボクシング協会加盟ジムが存在していないのは佐賀県のみである。

 

 地方のリングで闘い抜いた昭和の王者たち

 

 過去に行われた世界タイトルマッチ一覧を見ていると、改めて気がつくことがある。それは、近年、試合数が大幅に増えたのに対して、東京(及び東京近郊)、大阪(及び大阪近郊)以外での大会開催の割合が極端に減っていることだ。

 

 昭和の時代は、世界タイトルマッチが、よく地方会場で行われていた。そのことは、元WBA世界J・フライ級王者・具志堅用高の15度にわたる世界戦に表れている。振り返ってみよう。

 

<具志堅用高、全世界戦>

奪取 [1976年10月10日]山梨・山梨学院大学体育館 vs.ファン・ホセ・グスマン(ドミニカ共和国)

V1 [1977年1月30日]東京・日本武道館 vs.ハイメ・リオス(パナマ)

V2 [1977年5月22日]北海道・札幌真駒内屋内競技場 vs.リゴベルト・マルカノ(ベネズエラ)

V3 [1977年10月9日]大分・別府市営温泉プール vs.モンシャム・マハチャイ(タイ)

V4 [1978年1月29日]愛知・愛知県体育館 vs.アナセト・バルガス(フィリピン)

V5 [1978年5月7日]広島・広島県立体育館 vs.ハイメ・リオス(パナマ)

V6 [1978年10月15日]東京・蔵前国技館 vs.鄭 相一(韓国)

V7 [1979年1月7日]神奈川・川崎市体育館 vs.リゴベルト・マルカノ(ベネズエラ)

V8 [1979年4月8日]東京・蔵前国技館 vs.アルフォンソ・ロペス(パナマ)

V9 [1979年7月29日]福岡・北九州市総合体育館 vs.ラファエル・ペドロサ(パナマ)

V10 [1979年10月28日]東京・蔵前国技館 vs.チト・アベラ(フィリピン)

V11 [1980年1月27日]大阪・大阪府立体育会館 vs.金 龍鉉(韓国)

V12 [1980年6月1日]高知・高知県民体育館 vs.マルチン・バルガス(チリ)

V13 [1980年10月12日]石川・金沢実践倫理会館 vs.ペドロ・フローレス(メキシコ)

陥落 [1981年3月8日]沖縄・具志川市立総合体育館 vs.ペドロ・フローレス(メキシコ)

 

 具志堅だけではない。元WBA、WBC世界J・バンタム級王者の渡辺二郎、元WBC世界フライ級王者・大熊正二らも、たびたび地方会場でタイトルマッチを行っていた。これに対して、井上尚弥、田口良一ら現在チャンピオンが地方で防衛戦を行うことはほとんどない。

 

 プロボクシングが、「興行」から、テレビ主導の「イベント」へと姿を変えたことと無関係ではないだろう。

 

 ちなみに我が故郷・三重県でも過去に2度、世界戦が実現している。

 いまから40年近く前の79年6月20日、四日市市体育館で行われたWBA世界J・ミドル級タイトルマッチ、工藤政志vs.マヌエル・ゴンザレス(アルゼンチン)。工藤が12ラウンドTKO勝ち、3度目の防衛に成功した。もう一つは、83年2月24日、津市体育館でのWBA世界J・バンタム級タイトルマッチ、渡辺二郎vs.ルイス・イバネス(ペルー)。渡辺が8ラウンドKO勝ち、3度目の防衛に成功している。

 

 だが、この試合以降、35年以上もの間、一度も世界戦は行われていない――。

 

近藤隆夫(こんどう・たかお)

1967年1月26日、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から専門誌の記者となる。タイ・インド他アジア諸国を1年余り放浪した後に格闘技専門誌をはじめスポーツ誌の編集長を歴任。91年から2年間、米国で生活。帰国後にスポーツジャーナリストとして独立。格闘技をはじめ野球、バスケットボール、自転車競技等々、幅広いフィールドで精力的に取材・執筆活動を展開する。テレビ、ラジオ等のスポーツ番組でもコメンテーターとして活躍中。著書には『グレイシー一族の真実 ~すべては敬愛するエリオのために~』(文春文庫PLUS)『情熱のサイドスロー ~小林繁物語~』(竹書房)『キミはもっと速く走れる!』『ジャッキー・ロビンソン ~人種差別をのりこえたメジャーリーガー~』『キミも速く走れる!―ヒミツの特訓』(いずれも汐文社)ほか多数。最新刊は『プロレスが死んだ日。』(集英社インターナショナル)。

連絡先=SLAM JAM(03-3912-8857)


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