(写真:試合後の控室で現役引退を表明した山中)

「汚ねえぞ、この野郎! 卑怯者!」

「こんな奴、日本に入れるなよ、恥を知れ!」

「山中~、殺っちまえ~!」

 ルイス・ネリがリングに向かう花道に姿を現すと、館内はブーイングに包まれ、同時に怒声での野次が飛び交う。

 3月1日、超満員のファンで埋まった両国国技館には殺伐とした雰囲気が醸されていた。

 

 WBC世界バンタム級タイトルマッチ、ルイス・ネリvs.山中慎介。

 前日の計量を一発でパスした山中に対して、王者ネリは2.3キロのウェイトオーバー。再計量でも既定の53.52キロまで落とすことができず、この時点でネリの王座は剥奪された。そのため、「山中が勝てば王座奪取、ネリが勝てば王座空位」の取り決めの下、試合が行われることになったのだ。

 

「ふざけるな!」

 ネリの2キロ以上もの体重オーバーを知った時、山中はそう叫んだ。ラストファイトとなるかもしれないことを覚悟して調整を続けてきた山中は、フェアな闘いに挑めないことが余程悔しかったのだろう。瞳に涙を浮かべていた。

 

“無理な減量”を放棄したネリ

 

 おそらくは、確信犯である。

 ネリは、ギリギリまでカラダを絞ったが体重を落とせなかったわけではない。来日してからでも無理をすれば落とせたはずだが、良好なコンディションのキープを優先したのだと思う。

 

(タイトルを剥奪されるのは仕方がない。すぐにまた、タイトル挑戦の機会は巡ってくるさ。それよりも連勝記録を守ることが大切だ。そうすれば自分の商品価値を落とさずに済む)

 そう考えたのではないか。

 

 この闘いの公平性を無視したやり方に多くのファンは憤った。山中の気持ちを考えると、リングに向かうネリに対して怒りをぶつけずにはいられなかったのだ。

 

(写真:ネリは山中から4度のダウンを奪った)

 だが、ファンの声援虚しく、山中は2ラウンドTKO負けを喫した。

 カラダに負担をかけてルール通りに減量した山中と、それを放棄したネリではコンディションに差が出る。不公平さが生んだ結果だとメディアは報じた。

 

 間違いだとは思わない。だが、それだけではなかっただろう。ネリは山中をよく研究していたし、強かった。加えて、山中は以前に比して反応が悪くなっていた。好調時なら、ネリが猛攻を仕掛けてきても、それをかわし切り、後半勝負に持ち込めていたはずだ。それを、山中はできなかったのである。ネリの右フックをアッサリと喰らってしまっていた。

 

「興行の論理」ではなく「競技の論理」を

 

 そもそも、やるべき闘いではなかった。

 ネリが規定体重を守らなかった時点で、山中には「試合をやらない」という権利もあったはずだ。私は、そうするべきだったと思う。

 

 でも現実的には、それはできなかっただろう。

 地上波でのテレビ生中継が決まっていて、チケットも完売している。「やりません」と山中が言えるはずがないのだ。アンフェアな舞台でも上がらざるを得なかったのである。

 

 一つ提案したい。このような後味の悪いことが二度と生じないようにルールを厳格化してみたらどうだろうか。

「世界戦で契約体重が守られなかった場合、試合は中止する」

 そうルールに明記するのだ。

 

 試合が流れれば、興行的にはダメージを負うだろう。だがボクシングが冒涜されることはない。闘いの尊厳は守られる。優先されるべきは「興行の論理」ではなく、「競技の論理」ではないか。テレビ番組のためにボクシングが存在しているのではない。

 

近藤隆夫(こんどう・たかお)

1967年1月26日、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から専門誌の記者となる。タイ・インド他アジア諸国を1年余り放浪した後に格闘技専門誌をはじめスポーツ誌の編集長を歴任。91年から2年間、米国で生活。帰国後にスポーツジャーナリストとして独立。格闘技をはじめ野球、バスケットボール、自転車競技等々、幅広いフィールドで精力的に取材・執筆活動を展開する。テレビ、ラジオ等のスポーツ番組でもコメンテーターとして活躍中。著書には『グレイシー一族の真実 ~すべては敬愛するエリオのために~』(文春文庫PLUS)『情熱のサイドスロー ~小林繁物語~』(竹書房)『キミはもっと速く走れる!』『ジャッキー・ロビンソン ~人種差別をのりこえたメジャーリーガー~』『キミも速く走れる!―ヒミツの特訓』(いずれも汐文社)ほか多数。最新刊は『プロレスが死んだ日。』(集英社インターナショナル)。

連絡先=SLAM JAM(03-3912-8857)


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