東京ヤクルトの宮本慎也が26日、都内の球団事務所で会見を開き、今季限りでの現役引退を発表した。「外から野球を勉強したい」とコーチなどでチームにはとどまらず退団する。プロ19年目の宮本は、ここまで2137試合に出場し、球団歴代2位の2131安打を記録。守備でもゴールデングラブ賞に10度(ショート6回、サード4回)輝くなど攻守に渡って活躍した。またアテネ五輪、北京五輪での日本代表主将や、労組日本プロ野球選手会の会長を務め、球界のリーダー的存在だった。コーチ兼任の今季は後進に道を譲るかたちでベンチを温める機会が多く、宮本は「守備で入った選手なので、守りにつけない、レギュラーで出られないなら退く時だと感じた」と引退を決断した理由を語った。
(写真:「子どもから“お父ちゃん、泣くなよ”と言われた」と時折、笑顔をみせ、涙はなかった)
「僕自身はよくやったと思います。個人的には悔いはありません」
 スーツ姿の宮本はスッキリした表情だった。

 守ってはゴールデングラブ賞10度、打っては2000安打。通算408犠打とつなぎ役にも徹した。入団当初は野村克也監督(当時)から守備専門の“自衛隊”と揶揄されていた頃から考えれば、本人も「想像していなかった」という野球人生だ。

 実は昨季、宮本は一度、引退の意向を固めていた。だが、衣笠剛球団社長や小川淳司監督の慰留もあり、現役を続行。その時点で、「今年1年という気持ち」でプレーしてきた。今回の決断は、入団時の担当スカウトだった小川監督にはオールスター期間中、衣笠社長には8月10日の秋田遠征の際に伝えたという。

 19年のプロ生活を振り返り、「仕事として真剣に向き合ってやってきたことが誇り」と語る。
「好きでやっていた野球が仕事になった。最近の選手はよく“楽しむ”と言うけど、僕は楽しんだことはありません」
 それだけにタイトルや記録という結果よりも、「勝ちたい一心で全力でプレーしてきたことは自信を持って言える」と胸を張った。

 全力プレーの重要性に改めて気づいたのは国際大会の経験も大きかった。アテネ五輪、北京五輪、第1回WBCと日の丸を背負い、ワンプレーが命取りになる重圧の中で戦った。その中で常日頃のプレーがいかに重要かを思い知った。
「当たり前のことだけど、全力疾走とか代表に入る前は多少怠っていた部分もあった。もう一度、自分を見直せた」
 残り短い現役生活でも「自分のやってきたことを貫き通したい」と、100%のプレーでチームの勝利に貢献する考えだ。

 代表キャプテンや選手会会長などの実績からリーダーとしての手腕は高く買われている。チーム内はもちろん、他球団の若手にも技術面でのアドバイスをしており、指導者としての素質は十分だ。引退後は一度、現場を離れて解説者となるが、衣笠社長は「こちらから将来、頭を下げて(指導者として)復帰してもらう」と語り、「数少ない監督候補のひとり」と明言した。宮本自身も「19年間、お世話になったチームなので、“戻ってくれ”と言われるように勉強したい」と、指導者として再びユニホームに袖を通したい気持ちは強く持っている。

「個人的には悔いはない」としながらも、「もう一度、優勝したかった」と心残りも口にした。今季、宮本が控えにまわったチームは最下位に沈み、安心して託せる後継者もいないのが現状だ。「まだグッと出てきている選手は正直いない。チームは決して明るい未来ではない。一流になる気持ちでやらないと、このまま終わる可能性もある」と若手には敢えて厳しい言葉を投げかけた。

「ずっと勝ちたいと思って試合に臨んでいる。数字上は厳しいかもしれないが、力を合わせて何とか3位目指して頑張りたい」
 残り34試合で3位・広島とは6ゲーム差。球団ではレギュラーシーズンの最後に引退試合を企画しているが、その後のクライマックスシリーズでも現役選手としてプレーすべく、宮本はこれまで通り、勝利にこだわり続ける。