二宮清純: 2004年にパラリンピック初出場を経験したものの、次の北京パラリンピックは出場できませんでした。

宇城元: 出場枠が減ったことと、自分が世界の成長スピードについていけなかったのが原因でした。

 

二宮: 枠はいくつ減ったのでしょう?

宇城: 北京大会はアテネ大会と比べ2つ減りました。

 

二宮: 2大会連続での出場を逃し、相当な悔いが残ったのでは?

宇城: もちろん悔しさはありましたが、意外とスッキリしていましたね。

 

二宮: それはなぜでしょう?

宇城: 2008年北京大会は、ライバルでもあり、親友でもある大堂秀樹くんが出場しました。彼とは階級が違いますが、もし同階級ならば僕よりも強かったと思うんです。だから“自分が弱いから出られなかったんだ”と、すぐに受け入れることができました。

 

伊藤数子: 2012年ロンドンパラリンピックは2大会ぶりの出場を果たしました。

宇城: ランキングも8位だったので、この時は実力で獲った出場権です。パラリンピック本番では180キロを挙げて、7位に入りました。アテネ大会は運が良かった部分もありましたが、ロンドン大会は実力で獲った入賞でした。

 

 ケガに泣いたリオデジャネイロ大会

 

二宮: 続くリオデジャネイロパラリンピックは出られず、1大会おきの出場となっています。

宇城: リオの前はケガを放置してしまっていたのが一番の原因です。自分で自分の才能を潰してしまった。

 

伊藤: それは2016年に手術された肘のケガでしょうか?

宇城: そうです。まぁ自分で「才能を潰す」と言うくらいですから、天狗と受け止められるかもしれません(笑)。ですが、アスリートは自分に自信がなければ“俺はやれる”と思うことはできませんし、自信は成長の速さにも影響します。自分に才能があると思えない選手はトップにはなれないと思うんです。その自信を取り戻すために手術を決意しました。

 

二宮: 手術はどちらの腕ですか?

宇城: 左です。痛いのを我慢してずっとトレーニングを続けていました。根性が災いし、練習ばかりしていたら関節周りに余分な骨ができてしまい、可動域に制限がでてしまった。それを1年半前に手術で除去しました。最近、このままではベストのパフォーマンスができないという感覚があるので、もう一度手術することを考えています。リオパラリンピックの前よりは良くなりましたが、もう一段階上のパフォーマンスを引き出すためには、必要であると感じ始めています。

 

伊藤: 手術をするとなると、2020年東京パラリンピックから逆算していかないといけませんよね。

宇城: でも前回の手術でもそうだったのですが、「術後、すぐに練習しても良い」と医師は言ってくれましたし、記録が戻るのも早かった。だから、あまり心配はしていません。

 

 とにかく結果を残したい

 

二宮: 宇城選手は45歳。パフォーマンスに衰えはまだまだ感じませんか?

宇城: たぶん落ちていないと思います。

 

二宮: パワーリフティングの選手は息が長い印象があります。パラ・パワーリフティングは体重別で階級を分けますが、障がいの種類や度合いによるクラス分けはありません。同じ車いすの選手でも障がいの種類や度合いによって腹筋や背筋が使える選手、使えない選手がいますよね。

宇城: 世界のトップは股関節まで動かせる。立って歩ける選手がほとんど。僕らは背筋、腹筋が使えない。

 

二宮: それは不利ですよね。“背筋や腹筋が利けば、メダルも狙えるのに”とは考えなかった?

宇城: そう思った時期もあったんですけど、でもそれは言い訳だなと。皆がそれぞれ障がいを持ってやっている。"メダリストよりも筋力を付ければいいんだ"と思うようになりました。

 

伊藤: 2013年、東京でオリンピック・パラリンピック開催が決まりました。日本で開催されることも出場を目指す理由のひとつですか?

宇城: いえ。自国開催よりもリオ大会のリベンジの方が強いですね。2014年に順天堂大学に転職し、“メダルを獲るぞ”という思いでいましたが、ケガをしてしまった。リオ大会には出場できませんでしたが、今はとにかくできることをすべてやって東京パラリンピックへの出場を目指しています。リオ大会に出場できなかったことがプラスになった面もあると思っています。努力を怠らない引き締め効果もあったと感じています。

 

伊藤: さすが、とらえ方が違いますね。

宇城: そんなことないですよ。そう割り切らないとリオ大会に出場できなかった気持ちを整理できなかったんですよ。

 

伊藤: それでは最後に2020年東京パラリンピックの目標をお聞かせください。

宇城: まずは出場できるよう全力でやります。昔は“競技を知ってもらいたい”という気持ちもありましたが、それよりも今は“とにかく出場という結果を残したい”、そんな思いで東京大会をとらえています。東京大会までの2年半、精一杯頑張りたいと思います!

 

(おわり)

>>「挑戦者たち」のサイトはこちら

 

宇城元(うじろ・はじめ)プロフィール>

1973年1月28日、兵庫県生まれ。大学4年時に交通事故で、脊髄を損傷し、車いす生活となる。26歳で本格的にパワーリフティングに打ち込み、2004年アテネパラリンピック男子67.5キロ級で147.5キロを記録し8位入賞を果たす。2008年北京パラリンピック出場は逃したものの、2012年ロンドンパラリンピック75キロ級では180キロで7位に入った。2014年インチョンアジアパラ競技大会80キロ級で183キロを記録し、5位入賞。リオデジャネイロパラリンピック出場は叶わなかったが、自国開催の東京パラリンピック出場を目指している。80キロ級日本記録保持者(186.5キロ)。順天堂大学スポーツ健康科学部所属。


◎バックナンバーはこちらから