第224回 石川・武田勝監督「野村監督など名将の教えを選手たちへ」

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 昨季は総合コーチ、そして今季から監督と立場が変わりましたが、やることは同じだと思っています。選手と同じ目線に立って、指導ではなくアドバイスをする。「ああしろ、こうしろ」とは言いません。このスタンスは監督になっても変わらないですね。たぶん選手は「うちの監督は頼りないから、俺たちがしっかりしなきゃ」と、例年よりも気合が入っていると思います(笑)。

 

 自主性を引き出す環境づくり

 石川ミリオンスターズは今季から導入されたBCリーグの年齢上限制(26歳定年)を見据えて、いち早く昨季から若手に切り替えました。そのため今季は既存の戦力で勝負できるので他球団よりも一歩リード、シーズンでもいい勝負ができると思っています。

 

 昨秋のNPBドラフトでは石川から寺田光輝(横浜DeNA6位)、寺岡寛治(東北楽天7位)、沼田拓巳(東京ヤクルト8位)の3投手が指名を受け、夢を叶えました。この3人がNPBに進んだことで他の選手もよりNPBという目標が見えたことでしょう。今季、うちのNPBドラフト候補は外野手の宮澤和希ですね。彼はチームのキーマンであり、ドラフトの目玉だと思っています。

 

 宮澤は俊足、そして長打力もあり技術面ではもうNPBで通用するレベルです。あとはシーズンを通して戦える力、これは体力と同時に精神力も含めたものですが、それを鍛えていく必要があるでしょう。シーズンを通してミスをすることなく活躍するには、やはり1年戦える体力と精神力が重要です。スカウトはそういうことも含めて選手を見ているので、宮澤はこの課題をクリアして、ぜひNPBに進んでもらいたいですね。

 

 私は社会人時代は野村克也さん、北海道日本ハムに入ってからはトレイ・ヒルマンさん、梨田昌孝さん、栗山英樹さんと名だたる指導者の下で野球をしました。それぞれの教えが今、財産になっています。

 

 野村さんには20代半ばのころに出会い、野球の深みを教えていただけました。それまでただ投げていただけ、ただ打っていただけの野球がガラリと変わったと思っています。さらに野村さんは「野球人の前に社会人たれ」と、常に人間形成を重視していました。これはBCリーグというNPBを目指すと同時に、その夢を諦めて野球にケジメをつける場に派遣されてとても役立っています。石川の選手は野球を辞めた後、社会で通用する人間になれるように指南しています。「野村さんがこう言っていた」と前置きすると、素直に聞いてくれますしね(笑)。

 

 ヒルマンさんには、日本の野球をくつがえしてくれたという感謝の気持ちでいっぱいです。メジャーのいいところを日本球界に取り入れて、練習は自主性を尊重して全体練習はコンパクトにするなど、それまでの「やらされていた野球」から脱皮できました。

 

 梨田さんはキャッチャー出身らしく、非常に観察力が優れていましたね。選手をよく見ていて、体調やメンタルの好不調を見抜いて起用にいかしていた印象です。選手時代は自分のことだけを気にしていれば良かったのですが、コーチ、そして監督になるとそうもいかない。チーム全体、選手全員を見て、それぞれの長所を把握する必要があります。そのために梨田さんの観察力を参考にしています。

 

 栗山さんは言葉掛けに優れている監督でしたね。どの選手に対しても本音を語ってくれて、何も隠していることがない。選手全員を公平に扱うのに、この本音を話すというのはとても大切なことだと感じました。石川の選手に何かを言うときも、その点に気をつけています。

 

 昨季、守備の乱れから失点することが多かった反省を踏まえ、今季は原点回帰して、守備力で勝つチームを目指します。そのために私がするのは環境づくりです。試合をするのは選手なので、選手が練習しやすく、そして戦いやすい環境をいかにつくるか。選手の自主性を引き出すためにも、それが監督の一番の仕事だと思っています。

 

 今季もNPBに選手を送り出し、石川ミリオンスターズの名前が全国に知られるように頑張ります。選手への盛大な応援をよろしくお願いいたします。

 

<武田勝(たけだ・まさる)プロフィール>石川ミリオンスターズ監督
1978年7月10日、愛知県出身。関東一高時代は1年夏に控え投手として甲子園に出場した。立正大を経て、社会人野球のシダックスへ入社。2002年秋に同社野球部監督・GMに就任した野村克也のアドバイスで球種を増やし、エース野間口貴彦(元巨人)とともに03年、都市対抗準優勝に貢献した。05年、第36回IBAFワールドカップ日本代表に選ばれ、同年秋、北海道日本ハムから大学社会人ドラフト4位指名を受けてプロ入りを果たす。ストレートは130キロ前後ながらスリークオーターの左腕から投じるシュートやチェンジアップを操り、09年から4年連続で二桁勝利をあげるなど活躍。日本シリーズ出場4回、オールスター出場1回。16年シーズン限りで引退。NPB通算82勝61敗。引退後は日本ハム球団職員となり、17年からBCリーグ石川ミリオンスターズに派遣されヴァイスプレジデント、総合コーチを務める。18年、石川MSの監督に就任した。

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