2015年春、森薗美月は日本リーグ1部のサンリツに入社した。大阪・四天王寺高校時代から練習に参加していたミキハウスという選択肢もあったのだが、彼女は違うルートを進んだ。

「ミキハウスはプロツアーに行って、世界で勝つことを目指すチーム。日本リーグにも参戦してないんです。当時の私はプロツアーに出る資格を持っていませんでした。だから精神的にも少し余裕を持った方がいいなと思ったんです」

 

 大きな山に立ち向かう前に一度、立ち止まってみる必要がある。森薗はそう考えたのだった。最低限の義理は果たそうと、次の所属先が決まるより先に断りを入れた。「いろいろ探してダメだったら、フリーでもいいかなというくらいの気持ちでやっていました」。なんとか“就職活動”は実り、サンリツ入りが決まった。

 

「自分で考えて、卓球をしていたのですごく伸び伸びできました」

 それまではどちらかと言うと教えられた通りに卓球をすることが多かった。森薗は「ほとんどの先輩がシングルスで私よりも強かった。入社した当時は勉強、勉強でした」と振り返る。

 

 “覚悟”の日本リーグデビュー

 

 高卒1年目の彼女に対し、容易くレギュラーの椅子が用意されるほど日本リーグ1部は甘くはない。チーム側からすれば、どこで出場させるかを見極めていた部分もあっただろう。ようやく出番が回ってきたのは前期最終戦(対エクセディ)だった。

 

 実は森薗は近藤欣司総監督に出場を直訴していた。「普通の女子選手は心の中にあっても言えないことが多い。先輩たちもいますから。そこは彼女の良い面かもしれないですね」。近藤総監督によれば、森薗の起用を考えていた矢先の出来事だったという。

 

 剥き出しの闘争心は彼女の魅力のひとつでもある。“もし負けたら今後使われなくてもいい”。そのくらいの覚悟で臨んでいた。

 

 日本リーグデビューの相手は中国出身の選手だった。ここまでリーグ戦6試合を5勝1敗。ルーキーのデビュー戦にしては、いささかハードルが高い。「ほとんどの人が(勝つのは)厳しいと見ていたはずです。でも私の中では自信があって、“勝てる。私勝つよ”と思っていました」。結果は森薗のストレート勝ちである。溢れんばかりの気迫で森薗が相手をねじ伏せた。

 

 チーム内での評価はグングン上昇。後期の前に行われた全日本実業団選手権大会では全3試合で起用された。チームは準優勝に終わったものの、森薗は従姉妹の美咲に勝利するなど3戦全勝の活躍だった。迎えた日本リーグの後期では4勝2敗で、日本卓球リーグプレーオフ・JTTLファイナル4進出に貢献した。

 

「この時期は失うものがなかった。私は『サンリツに来てください』と言われて入ったわけではなく、自分から行きたいと望んだ立場です。この頃はプロツアーやオリンピックはまったく見えていなかった。とにかくサンリツに貢献したい、勝ちたいと。チームが日本リーグで勝つことに重点を置いているので、そこで勝たないと私は強くなれないと思っていたんです」

 1年目は日本リーグの新人賞を獲得した。上々の出来だ。

 

 迷い込んだ霧の中

 

「オリンピックに出たいとは思っていましたが、夢でした。目標じゃなくて漠然とした夢」

 夢が目標へと変わり始めたのは社会人2年目となってからだ。2016年の全日本社会人選手権のシングルスで優勝。年が明けて迎えた全日本選手権ではシングルス自己最高のベスト16に入る。通称“ランキング入り”を果たし、来年度のシード権を掴んだ。

 

 しかし、ナショナルチームの候補にも入れなかった。「ひどく落ち込みました」という森薗。ナショナルチームに入るためにはITTF(国際卓球連盟)ランキングを上げていく必要があると考えた。彼女の中で、“プロツアーに出たい”との思いがどんどん膨らんでいくのは自然なことだった。

 

 2017年はU21ではあるものの、ブルガリアオープンを優勝。チェコオープンでは3位に入り、ワールドツアーの表彰台に上がった。順調にステップアップをしているように映るが、周囲はそれ以上に速いスピードで駆け上がっていく。ナショナルチームの日本人選手たちはワールドツアーで結果を残し、ランキングは離されていってしまう。いつしか霧の中へと足を踏み入れていった。

 

 日本リーグ後期では8期ぶりとなる優勝に貢献したが、全日本社会人の連覇はならず。全日本ではベスト16だった。全日本のベスト8以上に加え、日本卓球協会による推薦の男女各8名が出場するジャパントップ12は2戦全敗で第1ステージ敗退。個人成績は振るわなかった。

「正直、卓球についてすごく悩んでいます。速くしていくべきなのか、速いボールにうまく対応していくべきなのか。気持ち的にどのように試合で戦えばいいか。これからどういう気持ちで卓球をしていくのかを、自分自身と向き合いながら良い答えが見つからないかなと探っているところです」

 

 “山登り”をあきらめない

 

 小さい頃から山に親しんできた森薗は登山が好きだ。

「悩んでいたことも“メッチャちっぽけやん”と思えたりするんです。それに山登りと卓球は直接繋がることはないんですが、いろいろと似ている。登っている途中でつらくて、“もう嫌だ。帰りたい”と思うこともあります。その時にパッと後ろを振り返ると、“こんなところまで登ってきたのか”と感じるんです。なかなかうまくいかないこともあるけれど、ちょっとずつでも前進はしているんだなと」

 

 彼女が目指す“大きな山”はオリンピックである。自国での開催となる2020年東京オリンピックまで残された時間は決して多くない。現状のITTFランキングでは森薗より上の選手は2桁以上いる。見上げるほどの高い山を目にしても、彼女はファイティングポーズを解かない。

「東京に出るためには世界選手権に出なければいけない。今はそこが目標です。いろいろな人から刺激を受けながら、つらいこともたくさんあると思う。でも絶対に最後まであきらめずに、やり通したい」

 

 かつて宝塚歌劇団を夢見た少女が覚悟を決めて選んだ場所は歌って踊るステージではなく、跳ねては飛ぶ卓球コートだった。躍動感溢れるプレーが持ち味。森薗が挑戦する“山”はそう簡単に辿り着けるものではない。だからこそ登った時の悦びは何にも代え難いものがあるだろう。

 

「『変わっているね』は褒め言葉なんです」と口にする彼女は個性豊かだ。明るく染まる髪の色も卓球界では珍しいだろう。ここまでエリート街道をひた走ってきたわけではない。足踏みだってしてきたし、遠回りもしてきた。それでも森薗は“自分らしいルート”を選び、登頂を目指す。

 

(おわり)

>>第1回はこちら

>>第2回はこちら

>>第3回はこちら

 

森薗美月(もりぞの・みづき)プロフィール>

1996年4月9日、愛媛県松山市生まれ。いとこの影響で小学1年から卓球を始める。6年時にJOCジュニアオリンピックカップ女子カデットの部(中学1年生以下)で優勝。中学2年時には全国中学生体育大会で準優勝した。大阪・四天王寺高進学後、高校3年時に全国高校総合体育大会で団体優勝と女子ダブルスで準Vを果たした。14年全日本選手権では女子ダブルス2014年サンリツ入社。16年全日本社会人女子シングルス制覇。身長152cm。右シェークフォア裏裏ドライブ型。

 

(文・写真/杉浦泰介)

 

☆プレゼント☆

 森薗美月選手の直筆サイン色紙をプレゼント致します。ご希望の方はこちらより、本文の最初に「森薗美月選手のサイン希望」と明記の上、郵便番号、住所、氏名、年齢、連絡先(電話番号)、この記事や当サイトへの感想などがあれば、お書き添えの上、送信してください。応募者多数の場合は抽選とし、当選発表は発送をもってかえさせていただきます。締め切りは2018年4月30日(火)迄です。たくさんのご応募お待ちしております。

 


◎バックナンバーはこちらから