セ・リーグにおいて21世紀に入ってから、最もBクラスの多い球団はどこか。答えは広島と横浜DeNAの13回である。その両球団が2016、17年と2年連続で日本シリーズ出場をかけて戦ったのだから、ご先祖様はさぞかし驚いたことだろう。今季も、この2球団による優勝争いを予想する者が少なくない。


 DeNAの前身・大洋による広島の合併話が持ち上がったのは今から67年前の1951年3月のことだ。広島と大洋は、ともに50年創設の新規参入組である。<日本にも二大リーグを作りたい。日本野球の完全な発達をめざすには、やはりアメリカのごとく二大リーグを対立させた方がよいと思う。もちろん、八球団では足りないから、もう四球団ふやしたい」(読売新聞1949年4月17日付)。両球団は日本プロ野球連盟総裁・正力松太郎のエクスパンション構想に応じるかたちでセ・リーグに加わった。


 51年といえば大洋の親会社である大洋漁業(現マルハニチロ)が北洋サケマス漁業を再開した年である。翌年には魚肉ハム・ソーセージの製造・販売に乗り出すなど業容の拡大を進めていた。羽振りがいい大洋に対し、親会社を持たない広島は遠征費や合宿費にも事欠くありさま。そこで寿屋サントリー、専売公社、アサヒビール、日本生命などに身売りを打診するのだが、事はうまく運ばず、仲裁に乗り出したのがリーグ顧問の鈴木龍二だった。大洋との吸収合併を提案したのも鈴木である。当時の大洋は下関市を本拠地としており、中国地方の球団同士の合併なら副作用も少ないと判断したようだ。


 だが、この計画は水泡に帰す。広島の要求する“のれん代”と大洋側の希望金額との間に開きがあり過ぎた。孤立無援の広島は“ドブ板作戦”に打って出る。「もっと大衆から小口の金を集めたらどうか」(永野重雄球団会長)。これが世に言う“樽募金”である。「市民球団」の原点が、ここにある。


 一方の大洋も2001年にTBSが筆頭株主となり、現在はDeNAが経営権を握る。近年、両球団は放映権ビジネスから球場ビジネスに舵を切ったことが奏功し、球団価値を高めている。ちなみに16年、セ・リーグにおける球場充足率(席の埋まる割合)はともに93.5%で広島とDeNAがトップとして肩を並べた。球場の熱気がチームを後押ししている。

 

<この原稿は18年5月9日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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