悲運の原因は、てっきりファンの暴走によるものだとばかり思っていた。ある巨人OBにも、そう聞かされていた。だが本人に直接話を聞くことで「悲運」と「暴走」を結び付けるものは何もないことがわかった。


 1956年5月20日、広島総合球場で球界を揺るがす事件が起きた。大敗の腹いせとばかりに広島ファンがベンチに引き揚げる巨人の選手たちに雨あられとばかりにモノを投げ込んだのだ。その中にはビール瓶も含まれていた。そのうちの1本がマウンドを降り、ベンチに向かう木戸美摸の右ヒザを直撃したのだ。「僕のヒザに当たって瓶が割れたんじゃないかな。痛む足を引きずりながらバスまで歩いた。と、その時、今度は暴徒と化したファンが水原茂監督を蹴飛ばしたんだよ。それで水原さんが怒ったんだ。“もう二度と広島には行かない”ってね」。木戸は病院で右ヒザを4針縫った。痛みはしばらくの間残った。


「犯人が捕まらない以上、広島での試合はできない」。巨人のフロントはどこまでも強硬だった。とはいえ、簡単に犯人が見つかるはずはない。まだモニターカメラなどない時代、グラウンドに飛び込んだ無数のビールの1本1本を特定するのは至難の業だ。業を煮やした巨人は連盟に訴えかけ、広島の本拠地での開催権返上、ペナントレースからの除外を迫った。


 2人の犯人が球団事務所に“自首”してきたのは、そんな折である。ともに後援会の関係者で、いわゆる“身代わり”であることは明白だった。だが今後の球場管理の徹底を誓約させることで巨人は矛を収めたのである。


 さて木戸である。翌57年、プロ入り3年目の20歳は17勝7敗の好成績でセ・リーグの最優秀勝率投手に輝く。水原が指揮を執ってから6度目のリーグ優勝だった。また17勝はルーキーの藤田元司と並ぶチームの勝ち頭でもあった。


 ところが翌58年は1勝、59年は5勝と低迷し、木戸は実働6年で現役を退く。「ビール瓶事件の後遺症だよ」。先のOBからそう聞いていたのだが、ケガは4針ですんでいるはずである。ならばマウンドでの恐怖心、すなわちトラウマか…。「いや、(不振の)原因は腰だったんですよ」。サラリと80歳は答えた。


 現在、どこの球場でも瓶や缶の持ち込みは許されない。安全対策の端緒となった「木戸ビール瓶事件」から、62年である。

 

<この原稿は18年5月23日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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