一夜明けてもなお、歴史的勝利の余韻が残っている。ロシアが決勝トーナメント進出をほぼ確実にしたことも、セネガルが予想以上に洗練されていたことも、遠いところで起きた自分たちとは無縁の出来事のように思えてしまう。そろそろ、気持ちを切り替えなければ。

 

 ただ、未来に目を向ける前に、いま一度だけ、前日の試合のことに触れておきたい。

 

 西野監督に、脱帽する。

 

 改めて言うことでもないかもしれないが、ハリルホジッチの解任には賛成、けれども後任が西野朗だったことについては消極的支持、というのがわたしのスタンスだった。コミュニケーションなどとれていなくても構わないが、チームに一体感がまるでないこと、目指す方向性が日本人の特性とはかけ離れているように思えたことが解任支持の理由であり、悪くはないが、もっと明確に日本サッカーの方向性をつかんでいる指揮官もいる、と感じたがための消極的支持だった。

 

 だが、コロンビア戦の勝利は、西野監督の采配なくしてはありえなかった。

 

 早い時間に先制点を奪い、かつ相手が1人少ない状態になったにもかかわらず、前半の日本の出来は芳しいものではなかった。W杯を経験しているメンバーには過剰な入れ込みが、これが初めての大舞台となる選手にはミスをすること、ボールを奪われることへの恐怖がはっきりと表れていた。

 

 ところが、後半の日本は見違えるようだった。硬さが完全にとれたわけではない。柴崎などは、もしわたしが青森山田高の黒田監督だとしたら「どうした? おまえはそんなもんなのか? もっとやれるだろう!」と肩をつかんで揺さぶりたくなるぐらい物足りなかった。

 

 それでも日本が試合を支配できるようになったのは、全員にボールをつなぐ勇気、相手が出てくるのを待つのではなく、自分から出て行くことへの勇気が芽生えていたからだった。

 

 ハーフタイムで、日本は変わったのだ。

 

 西野監督がどんな指示を与え、どんなメッセージとともに選手をロッカールームから送り出したのかは、大会が終わるまで表に出てくることはないだろう。けれども、アトランタ五輪のナイジェリア戦、ハーフタイムにトラブルを起こしてしまった指揮官は、22年の月日を経て、W杯とコロンビアへの恐れを捨てきれなかった選手たちを勇士に変身させる術を獲得していた。

 

 日本がコロンビアを倒すことができたのは、「相手が10人だったから」ではない。「相手は10人だからできる」と考えるようになったからだった。できない前提に立っていたチームが、できるという前提に立ち返ったからだった。

 

 10人のコロンビア相手にできたサッカーは、相手が11人ならばできなかったのか? そんなことはない。他ならぬ日本の選手たち自身が、そのことを痛感しているのではないか。

 

 セネガルは強い。相当に強い。だが、コロンビアを倒したことで、日本は2つの大敵を退治した。大舞台への恐れ。自身への不安。24日の日本は、きっと、前日よりも恐るべき存在になっている。

 

<この原稿は18年6月21日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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