さあ、宴(うたげ)の始まりである。

 

 率直にいって、現代のW杯は依然世界最大の大会ではあるものの、最高の大会ではもはやない。最高の技術、最高の戦術、最高の試合を見たいのであれば、W杯よりも欧州CLの方が希望をかなえてくれる可能性は高い。

 

 さらにいうなら、かつてのW杯の大きな楽しみの一つだった「新たな才能の発見」も、情報網が行き渡ってしまったことにより、ほぼ完全に失われた。初めて見る「動く」クライフに驚愕(きょうがく)し、ケンペスに熱狂し、ジーコに涙したような経験を、現代の少年たちは味わうことができない。ちょっぴり優越感を覚えつつ、いささか気の毒にも思う。

 

 とはいえ、4年に一度しか開催されないW杯の特殊性は、いまだ失われてはいない。ほとんどの選手にとっては一生に一度か、せいぜい3度しかない極めつきの晴れ舞台である。そこに懸ける思いは、時に最高の技術や戦術をもってしても到達し得ない至高の名勝負を生むことがある。今回も、そんな試合との出合いを楽しみにしたい。

 

 今大会の見どころは何か。個人的な興味は「継続か転換か」というところにある。10年の南アフリカ、14年のブラジル。過去2大会の優勝国は、いずれも一人の男のサッカー観の影響を強く受けていた。というより、その男の出現と成功がなければ、スペインとドイツの優勝はなかったとわたしは思う。

 

 ペップ・グアルディオラ。

 

 選手時代にクライフの薫陶を受け、その正統にして進化した後継者となった彼の志向するサッカーは、全世界に「ポゼッション」という概念を行き渡らせた。スペインの優勝は彼が率いたバルサあってのものであり、ドイツの優勝も、彼が率いたバイエルンあってのものだった。

 

 だが、ブラジル大会以降の4年間で、世界にはまた新たな潮流が勢いを増しつつある。ハリルホジッチにも代表される、ポゼッションを否定するタイプのサッカーである。ペップのバイエルンに対抗する形で急速に成熟した“ゲーゲンプレス”も、そうした流れの一つ。元はといえば74年のオランダが披露し、世界を驚愕させた“トータルフットボール”の亜流ともいうべきこのスタイルが、クライフイズムに対する最良の武器となったことは、実に興味深い。

 

 ドイツが、あるいはスペインが勝つのであれば、南アフリカから始まった流れは今後も継続する。だが、負ければ、惨敗するようなことがあれば潮目は変わる。堅守を誇ったイタリアが、メキシコでブラジルに粉砕されたことで低迷期に陥ったように。あるいは、クライフのオランダに蹂躙(じゅうりん)されたブラジルが、しばし方向性を見失ったように。

 

 日本?静かに見守ろう。実力的にはおそらくグループの4番目。けれども、まるで歯が立たないという力関係でもない。重要なのは、もちろん初戦のコロンビア戦。2点目をとるのはどちらか。そこがカギになるような気がしている。

 

<この原稿は18年6月15日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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