日韓共催が決定してからというもの、日本=敗者、韓国=勝者といった安易な図式による報道が相次いでいるが、それは的を射ていない。筆者は韓国もまた敗者だったと考える。なぜかといえば、鄭夢準氏が目指していたものは日本同様、単独開催であり、共催カードはあくまでも、そこに導くための道具に過ぎなかったからである。あくまでも推測だが、彼は共催カードをちらつかせることで招致合戦を有利に戦い抜き、最後に日本が蹴ってくれれば、欧州、アフリカ諸国の理事たちの反発を買って韓国の単独で勝負は決まる、と踏んでいたのではないか。

 

<この原稿は1996年8月号『月刊現代』(講談社)に掲載されたものです>

 

 いや、そもそも韓国に単独開催の力はない、と反論する向きもあるかもしれない。インスペクターによる報告書は「日韓、甲乙つけ難い」となっていたが、これは後になって書きかえられた可能性が強く、たしかに誰がどの角度から見ても日本の方が開催国にふさわしいのはわかり切っている。ネックといえば鄭夢準氏の指摘にもあるようにワールドカップの本大会に出場経験のないこと(韓国は4度)くらいだろう。しかし、国際通でハーバード大卒のインテリである彼がそれを見越していないはずがない。

 

 私見だが、彼の真の狙いは投票で勝利し、イニシアティブを確保した上で日本を従属的なパートナーに指名することにあったように思う。開催地のいくつかを日本から選ぶことと引きかえに、財政面の援助を約束させ、場合によっては北朝鮮まで引きずり込む。文字どおり彼は「ファースト・イン・アジア」のリーダーとして君臨しようとしていたのではないだろうか。そのコストを日本に負担させれば、すべてがうまくいく。日本人からすれば面白くない話だが、もし日本が選挙に負けていたら、それは即座に実行に移されていたかもしれない。

 

 2002年を大統領として迎えたいと考えているといわれる鄭夢準氏は、このところ「北」をも視野に入れた発言を繰り返している。4月には韓国の報道陣に「今後、議論を経て韓日共同開催を、北韓(北朝鮮)がともに同等な水準で参加する『三者共同主催』へ発展させなければならない」と述べ、「東北アジアの平和のため、中国についても主催に含めることはなくとも、文化行事などに数多く参加して寄与してもらわなければならない」と続けた(『統一日報』6月5日より)。鄭夢準氏が「北」のカードを正式に切り、「朝鮮半島の平和」や「東アジアの安定」といった大義名分をとうとうと語り始めた時、日本はいったいどう対応するのだろう。「FIFAにそんなルールーはない」と反駁したところで鄭夢準氏は少しもひるまないだろう。なにしろ、つい今しがた、FIFAは友人とのディナーの時間でも変更するようにあっさりとルールを改正したばかりなのだから。

 

 日韓は「植民地」になる

 

 話を戻そう。「共催カード」をたくみに利用してFIFA内のパワーポリティクスの荒海を泳いできた鄭夢準氏だが、最終的な目的であった単独開催には届かなかった。先述したようにそのカードが欧州勢にわたった瞬間から鄭夢準氏自身の行動もそのカードによって制限されてしまう。いわばミイラ獲りがミイラになってしまったのだ。

 

 前出・辺真一が語る。

「ヨハンソンから正式に“共催”を持ちかけられた時“もし、これに応じなければ韓国は投票で負ける”と言われているのです。つまり韓国の方も、泣く泣く呑まざるをえなかったのです」

 

 韓国のワールドカップ誘致委員会委員長として精力的に活動してきた李洪九前首相は、帰国後すぐの記者会見でこう答えている。

「アベランジェと対抗するには、韓国は“共催”を主張するしか手がなかった。そして欧州の改革勢力と協調せざるをえなかった。しかし、韓国を支持する勢力が増えれば増えるほど共催の可能性は高まり、私たちはジレンマに陥らざるをえなかった……」

 

 鄭夢準氏が「共催カード」を巧みに操ったのは事実である。しかし、少々、“火遊び”が過ぎた。この捨てカードは、鄭夢準氏から“ジョーカー”となってヨハンソン氏へとわたり、巡り巡って最後に手にしたアベランジェ会長がディーラーになりすましてゲームを終了させた。李洪九氏のセリフが示唆するように、韓国は策におぼれ、一方、日本は無策に泣いた。日本が受けたダメージはもちろん韓国の比ではない。

 

 それにしても、日本は本当にベストを尽くしたのか。フェアプレー精神を最後まで発揮するなら、正々堂々、投票による結着を目指すべきだったろう。「共催」を蹴ればヨーロッパ、アフリカ勢をすべて敵に回すとの読みは、少なくとも正確ではない。ベルギーのフーゴ理事は日本の記者に「投票になったら良心に従って日本に入れる」と明言している。

 

 百歩譲って「共催」に理解を示したところまではいいとしよう。しかし、ただの“Yes”ではあまりにも芸がない。なぜ“Yes,but”と言えなかったのか。「時間がない」というのは理由にならない。交渉事というのはカードの切り合いである。FIFAが切ってきた「共催」カードに対し、それを受けるかわりに決勝戦は日本開催を保証しろ、とか、試合数は日韓で2対1の割合にしろとか、いくらでも対案としてのカードを切り返すことはできたはずである。場合によっては、目には目をとばかりに、ルール違反を平然と犯したFIFAに対し、訴訟カードを切る仕草くらいは見せてもよかった。

 

 腹立たしいのは、これだけ痛い目に遭いながら、まだ懲りずに「これまで同様にFIFAを尊重する」(長沼健日本サッカー協会会長)などと言ってのける協会幹部の卑屈な姿勢である。

 

 そうでなくとも、これから6年間、日韓はともに、運営を統括する「ワーキング・グループ」という名のFIFAの出先機関の支配下に置かれ、悪代官たちへの隷属を余儀なくされるのである。これはワールドカップに名を借りた、ファー・イースト(極東)への不当なる植民地支配以外の何ものでもない。

 

 FIFAの横暴を許すな

 

 その「ワーキング・グループ」からは6月10日、早くも日韓それぞれの招致委員会に「日韓双方の間で約束・保証を一切控えるように」との文書が届いたが、ホスト国に一切の権限を与えようとしない高圧的な姿勢は断じて容認できるものではない。日本も韓国も真の敵は隣国ではなく、悪代官と悪徳商人の巣窟であるFIFAであるということにそろそろ気づくべきだろう。

 

 最後にあえて旗幟を鮮明にするが、筆者は共催反対論者ではない。

 

 FIFAからの押し付けではなく、日韓双方がともに望んだものであるのなら、双手をあげて歓迎しよう。しかし、現実はそうした理想からは最も遠いところにある。民主主義の最低限のルールの象徴である投票箱まで奪われたというのに、「友好関係築く好機」「隣人関係の構築」(いずれも朝日新聞)との報道はいったいどういう了見なのか。気骨なき博愛主義は尊大極まる権力者をさらに増長させ、彼らのアジア蔑視を永続させるだけである。

 

 IOC筆頭副会長の金雲龍氏は語っている。

「今回の決定は日韓の敗北であると同時にアジアの敗北である」

 

 日韓は過去の恩讐を越えて今こそ協調し、サッカー・マフィアたる欧米の統治勢力と対峙するべきである。さもなくば、2002年の「植民地ワールドカップ」は、後世にまで汚点を残すことになる。

 

(おわり)


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