94年5月、鄭夢準氏はAFC総会で日本人候補を破り、FIFAの副会長という重職に就いたものの、アベランジェ会長と日本とのくさびを打ち込むことはできず、情況は「日本有利」のまま推移していく。ならば、とオポジション勢力に目を向けたところ、アベランジェ会長の6戦に異を唱えるヨハンソンUEFA(欧州サッカー連盟)会長をはじめとするヨーロッパの理事たちの姿が視野に入った。

 

<この原稿は1996年8月号『月刊現代』(講談社)に掲載されたものです>

 

 敵の敵は味方である。鄭夢準氏はこのころから「FIFAを民主化すべし」としてアベランジェ批判を強め、それによってヨーロッパの理事たちの信頼を得ることに成功した。ヨーロッパは22票中8票を占める大票田。しかもヨハンソン氏のお膝元のスウェーデンを中心とする北欧4ヵ国は、2006年の本大会に「共催」で臨みたいとの意向を明らかにしている。

 

 ヨーロッパの理事たちからすれば、反欧政策やたび重なる粛清人事で恨み骨髄のアベランジェ会長が援護する日本を支持したくはないものの、さりとて施設面やインフラ、もっと大きな視点でみれば安全保障面で日本よりも著しく条件の劣る韓国を素直に支持するわけにはいかない。

 

 しかし「共催」なら「敗者を見るにはしのびなかった」と善人ぶったコメントのひとつも残せば大義は立つし、選挙に突入してヨーロッパ票を切り崩されることもない。日韓両国が北欧4ヵ国共催の成否を占うモルモット役にもなる。

 

 加えて同じく「共催」の可能性を模索するアフリカ勢をも味方につけることもできる。さらにはアベランジェ会長の独裁的な運営にストップをかけ、権力奪還の奇化とすることも可能となる。かくして鄭夢準氏の“捨てカード”は、ヨハンソン氏の手に移ってオールマイティの“ジョーカー”に化け、勢いを得て公道を闊歩し始めるのである。

 

 アベランジェ会長がチューリヒ入りする2日前の5月23日、その機先を制するようにヨハンソンUEFA会長はここぞとばかりにジョーカーを切ってきた。「一国単独開催を原則とする現規約を改正し、共催に道を開く提案をする意向だ」と記者会見で明言したのである。

 

 アベランジェ会長に対する文字どおりの宣戦布告だった。この時点では先述したように韓国からは「共催OK」の手紙を受け取っているわけであり、運命共同体であるアベランジェ会長と日本は外堀を埋められたも同然だった。

 

 真犯人は誰だ

 

 腑に落ちないのは「共催」の事務方を買って出たブラッター事務総長の存在である。冒頭で紹介したように日本への恫喝ともとれる手紙はブラッター事務総長が出したものであり、アベランジェ会長のサインはどこにも見当たらない。

 

 さらにいえば岡野氏が届けた返信はアベランジェ会長に宛てたものだが、直接、ブラッター事務総長が受け取り、自身でサインをしている。うがち過ぎかも知れないが、スイス人のブラッダー氏はアベランジェ会長の腹心として本当に信用に足る人物だったのか。かつてアベランジェ会長に反旗を翻した科で現在は監視下に置かれているという情報もあるが、それが事実ならヨハンソン氏をはじめとするヨーロッパの理事たちと水面下で気脈を通じていた可能性も否定し切れない。

 

 しかし一方では、形勢不利なアベランジェ会長を守るために日韓双方の首に「共催」の鈴をつけ、ヨーロッパとの全面戦争を回避したとの説もあり、実際のところ、彼の本心がどこにあったのかは定かではない。あるいは、すべては恐怖政治でFIFAを支配する“妖怪”アベランジェ会長の描いたシナリオであり、彼は指示どおりに動いたコマンドに過ぎなかったのか……。

 

 ひとつだけ、確認された事実がある。すべて決まった30日の午後、アベランジェ会長はチューリヒではなく、そこから150キロ以上も離れたローザンヌでIOC(国際オリンピック委員会)のサマランチ会長と会食をしていたのだ。そこで彼は傷心を癒したのか、それとも真犯人ゆえに“犯行現場”を離れ、事の推移を見守っていたのか、それは誰にもわからない。

 

(後編につづく)


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