4月に71歳で他界した元広島・衣笠祥雄さんの「お別れ会」が先ごろ広島市内で開かれた。

 

 

<この原稿は2018年7月9日号『週刊大衆』に掲載されたものです>

 

 会場にはチームメイトだった山本浩二さん、江夏豊さんらの他、広島の緒方孝市監督も訪れ、祭壇の遺影に献花していた。

 

 衣笠さんと言えば、球界では「紳士」で通っていた。特に1987年に国民栄誉賞を受賞してからというもの、その傾向が強くなったように感じられる。

 

 余談だが、盗塁の「世界記録」をつくった元阪急の福本豊さんにも国民栄誉賞授与の打診があった。「そんな立派な賞をもろたら立ちションもできなくなる」と言って福本さんが辞退したのは知る人ぞ知る話だ。

 

 その福本さんが語っていた。

「キヌさんは賞をもらうまでは京都弁や広島弁で話してくれたのに、賞をもろてからは急に標準語になった。あれは僕にはできん。そう思ったのも断った理由のひとつなんですよ」

 

 誰からも愛された衣笠さんらしく、祭壇の遺影は笑顔だった。表情からは白い歯がこぼれていた。

 

 衣笠さんの白い歯と言えば次の逸話を思い出す。広島対近鉄の1979年の日本シリーズは大詰めを迎えていた。3勝3敗の第7戦9回裏、4対3と広島1点のリードながら無死満塁。一打サヨナラの場面である。

 

 ここで広島ベンチが動く。古葉竹識監督がブルペンに2人の投手を走らせたのだ。「オレを信用できんのか!?」。江夏さんが怒ったのは言うまでもない。

 

「おまえが辞めるならオレも一緒に辞めてやる」。一塁から駆け寄ってきた衣笠さんの一言に江夏さんが救われたのは有名な話だが、江夏さんによれば話の中身よりも「白い歯」の方が印象に残っているというのである。

 

「オレに“余計なことを考えるなよ”と言って一塁に戻りかけ、もう一度振り返った。その時、なぜか目と目がバチンと合った。その時に“こいつ、きれいな歯しとるな”と思った。一瞬、野球のことが頭から消えた。あれで我に返れたんだよ」

 

 今頃衣笠さん、草葉の陰で大笑いしているかもしれない。

 


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