――ワールドカップでは最良のサッカーをする国は優勝しない。

 

 フランスとクロアチアを観ながら、そんなジンクスを思い出していた。1974年のオランダ、82年のブラジル、あるいは94年のアルゼンチン――どこもカップを掲げることはできなかった。直近の2大会でスペイン、ドイツが優勝したのは例外だったのだ。

 

 そしてワールドカップはその時点での「国力」が問われる場所であることも痛感した。

 

 当然のことながら、この4年に一度の大会を勝ち抜くのにまず必要なのはピッチの中の選手の能力である。加えて、肉体的、精神的に選手をサポートする体制があるか、どうか――。

 

 例えば、主力選手が怪我をした際、最先端の医療技術を提供できるのか。さらに速やかに復帰させるノウハウがあるか。その国のスポーツ医学の力量が問われる。また、精神的なケアを施す人員は揃っているか。

 

 さらに、こうしたサポート体制を組むには、資金が必要となる。自国に代表チームをスポンサードする企業があるのか。そして集めた資金を効果的にマネージメントする組織があるのか。

 

 選手の能力、経験値、国内リーグのレベル、育成体制、医療体制、精神的なケア、資金力といった指標の全てで高い数値を刻むことのできる国が優勝までたどり着けるのだ。

 

 前回のブラジルで開催された2014年大会でのドイツはその典型だった。

 

 それまで欧州の代表チームは中南米大陸で行われるワールドカップで優勝できないとされてきた。地元サポーターからの強烈なプレッシャーの他、気温、湿度などの違いにより、コンディション作りが難しいからだ。特にブラジルは国土が広く、移動の疲労度も加わる。

 

 そんな中、ドイツはメルセデスベンツというスポンサーから資金を引き出し、大会を勝ち抜くのに最善のキャンプ地を選び、宿舎、専用練習場を作った。そしてドイツは準決勝で地元ブラジル、そして決勝でアルゼンチンを破り、優勝した。

 

 国力という観点では、今回の決勝で対戦したフランスとクロアチアは比較にならない。

 

 フランスは数々の世界的な企業を抱える、欧州連合の基軸国である。サッカーの世界でも、ミッシェル・プラティニ、ジネディーヌ・ジダンといった世界最高峰の選手を輩出し、98年に地元開催の大会で優勝を成し遂げた。その後も世界に冠たる育成システムで次々と才能ある若手選手を生み出している。

 

 一方、クロアチアは九州の約1.5倍の面積、人口428.5万人の小さな国である。91年から95年の旧ユーゴスラビアからの独立を巡り、紛争を経験し、国土は荒廃した。今も一部旧紛争地域には地雷が残っている。

 

 東欧サッカーの碩学である長束恭行は著書『東欧サッカークロニクル』(カンゼン)の中でクロアチア人の特質を<「しつこさ」と「攻撃性」>であると表現している。

 

 粘着質な情熱と人種問題や共産主義の負の遺産ともいえる組織腐敗が絡み合い、クロアチアサッカー事情を複雑にしてきた。そして、主要産業は観光業。つまり、資金力のある企業はない。

 

 さらに、決勝トーナメントでクロアチアは延長戦を戦い続け、準決勝から決勝の間隔はフランスよりも一日短い。

 

 それでもこのバルカン半島の小国がフランスと互角以上の試合をするのが、サッカーの面白いところでもある。それどころか、内容ではクロアチアが押していた。失点に繋がったペナルティーキック、フリーキックなどの判定がフランス有利に働いたことは、多くの人間が指摘している通りだ。

 

 “強くはないが、弱くはない”

 

 こうした不可解な出来事は今回に限った話ではない。

 

 ワールドカップでは、フランスなどの「サッカー強豪国」に“見えざる手”が働いてきた過去がある。

 

 かつて日本代表監督だったジーコがぼくに皮肉っぽく言ったことがある。

「ブラジルとドイツはワールドカップ常連国であるにも関わらず、ほとんど対戦がなかった。おかしいと思わないか」

 

 ブラジルとドイツがワールドカップで対戦したのは、02年大会の決勝と、14年の準決勝“ミネイロンの悲劇”の2回のみ。開催国が必ず比較的楽なグループに入ることも含めて、何らかの“作為”があることは間違いない。それを裏付けるように98年フランス大会の大会組織委員長だったプラティニが、フランスが決勝までブラジルと当たらないよう組合せで「ちょっとした細工」をしたことを明らかにしている。

 

 FIFA内部に理事を送り込んでいるかどうか、審判部に顔が利くかといった検証困難なことも「国力」には含まれるのだ。

 

 その意味で今回の日本代表がグループリーグを勝ち抜いたのは、西野朗監督の采配もあっただろうが、国力がついてきたことの証左だと考える。

 

 振り返ってみれば、今回の大会前、日本国内のメディア、識者は悲観論がほとんどだった。

 

 しかし、ぼくはそこまで悪い結果になるとは予想していなかった。98年大会で初出場をしたとき、日本代表には、欧州のトップクラブでプレーしている選手はおらず、突破の見込みのない完全な「アウトサイダー」だった。続く02年は自国開催という後押しでグループリーグを突破。06年は欧州組を揃えたものの、コンディション作りで失速した。ワールドカップを勝ち抜く経験がなかったのだ。

 

 そして10年には再びグループリーグを勝ち抜いている。ワールドカップの戦い方を多少とも知る国になった。また、日本代表の選手のほとんどは欧州のトップリーグに所属する選手である。強豪国ではないにしても、もはやアウトサイダーではない。“強くはないが、弱くはない国”である。だからこそ、ちょっとしたきっかけでグループリーグを突破する可能性はある、はずだった。

 

 周知のように、日本代表はコロンビア戦では運良く1勝を挙げた。セネガルには引き分けたものの、ポーランド戦で不格好に、しかし、したたかに戦い抜いた。かつての日本サッカーではできない試合運びだった。

 

 汚れた手であったとしても、指先で引っかかっていた崖をよじ登ったことは事実だ。そして、崖を登ると見える景色が変わる。ただし、決勝トーナメント1回戦で対戦したベルギーとは差があった。それ以上を勝ち抜く力はなかったのだ。今回のようなグループリーグ突破という経験を積み重ねることで、中堅国への壁を破ることができるだろう。

 

 壁を破るのに必要なのは、代表チームの強化だけでない。協会のマネージメントシステム、育成、ジャーナリズムも含まれる。つまりサッカーに関わる「国力」である。そのため、ここからの歩みは地味でゆっくりとしたものになるかもしれない。