サッカーには全く興味がないのにメッシだけは知っている。日本戦以外、W杯は見ないと言っておきながら、メッシのいるアルゼンチンの試合だけはちゃっかり見ている。そんな人が、私のまわりには結構いる。

 

 

 その人たちはアルゼンチンが好きなわけでもサッカーが好きなわけでもない。唯一、メッシのみが好きなのだ。

 

 FWリオネル・メッシの4回目のW杯は4試合で幕が下りた。攻撃のキーマンとしてピッチに君臨しながら1ゴール2アシスト。いつになくピッチでうつむくシーンが目立った。

 

 ケチの付き始めはグループリーグ初戦のアイスランド戦だった。1対1で迎えた後半18分、MFマキシミリアーノ・メサが倒されてPKを得た。蹴るのはもちろんメッシだ。

 

 誰もがロシア大会における初ゴールを信じて疑わなかった。ところが、である。メッシのゴール左へのキックは、あろうことかアイスランドGKハネス・ハルドンソンにはたき落とされてしまったのだ。

 

 ハルドンソンのプロフィールの欄には「元映像ディレクター」とあった。サッカー選手らしくない職業だ。後で知るのだが彼はメッシのPK集を自ら編集し、蹴るコースを研究していたというのである。

 

 世界最高峰の収入(167億円)を得る男が、ちょっと前までは兼業で糊口をしのいでいた男の引き立て役に回ってしまったのだ。このPK失敗が尾を引き、アルゼンチンは人口35万人の小国と引き分けた。

 

 参考までに述べれば、この試合のボールポゼッションはアルゼンチン72%に対し、アイスランド28%。ボクシングにたとえるなら、連打の雨を浴びせながら、アルゼンチンはとどめを刺せなかった。メッシと他の選手の連係がうまくいってないことは、誰の目にも明らかだった。

 

 元よりアルゼンチンに戦術らしい戦術はなかった。監督のホルヘ・サンパオリが「私のチームではなく、メッシのチームだ」と語っているように、メッシあってのアルビセレステス(同代表の愛称)だった。

 

 しかし、それは86年メキシコW杯を制したチームも同じである。あの時のチームは「マラドーナが最大の戦術」と言われたものだ。

 

 マラドーナにあってメッシにないもの。それは誰にもわからない。ひとつ言えるとしたら、同じ「神の子」でもマラドーナはメッシよりも強い星の下に生まれてきたということだろう。

 

 どうにかたどり着いた決勝トーナメントは、フランスに行く手を阻まれた。メッシはMFエンゴロ・カンテにマークされ、仕事をさせてもらえなかった。

 

 マラドーナの時代とは違い、ITの発達により、今はピッチ上での全ての動きが事前に予測され、独創的なプレーを困難にしている。天才といえどもひとりで難局を打開するのは容易ではない。

 

 それでも、もう少しだけメッシを見たかった。奇蹟を起こす瞬間を見たかった。

 

 4年後、メッシは35歳になる。灼熱のカタールに、その姿はあるのだろうか。

 

<この原稿は『サンデー毎日』2018年7月22日号に掲載されたものです>

 


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