撮影用にリフティングを依頼すると、カメラマンがシャッターを切る前にボールは床ではねた。「サッカースクールに行くと、ミスをしてよく子供たちに笑われるんですよ」。バツの悪そうな表情を浮かべて、そう答えた。

 

 次期サッカー日本代表監督が有力視される森保一(現U-21日本代表監督)が、初めて代表入りした時に聞いた話である。

 

 代表入りしたらしたで、名前を呼び間違えられた。「モリ・ヤスカズ」「モリホ・ハジメ」。ひどいのになると「モリ・ポイチ」。ある選手からは、「ところでキミ、ポジションどこだっけ?」と真顔で聞かれた。無名伝説ここに極まれり、である。

 

 挫折の数なら、何本指を折っても足りない。サッカーどころ長崎の出身ながら高校は当時、全盛を誇った国見ではなく長崎日大。「受験票こそもらったものの誘われもしなかった」。卒業後、入団テストを受けて、どうにかJSL1部のマツダに滑り込んだものの、配属先は地域リーグに所属する社内チーム。「5、6人いた高校生の中で、実際に技能を試されたのは僕ひとりだけ」。プロ野球で言えば育成ドラフトの出身である。

 

 だからこそ、常に自分にこう言い聞かせたのだ。「ハングリー精神と目標を常に高く持とう」。そしてサッカーへの情熱。マツダ、サンフレッチェ時代のチームメイト吉田安孝から聞いた話。「オフの時、4、5人で酒を飲みながらサッカー談議になった。皆、熱くなり過ぎて口論になった。その時です。一番年下の森保が泣きながら、僕たちに言ったんです。“皆チームメイトじゃないですか。ケンカはやめてください。ひとつになりましょう”って。彼はそういう男なんです」。まるで竜雷太主演の青春ドラマである。誰よりも熱く、そして誰よりも冷静な男、それが若き日の森保一である。

 

 日本初の外国人代表監督ハンス・オフトに見出された。「日本人は彼を地味だというが、彼には誰にも負けないだけのシンキング・スピードとエスティメーション(ゲームを見積もる能力)が備わっている」

 

 オフトがほめた「シンキング・スピード」と「エスティメーション」は監督になって、さらに生きた。広島での3度のリーグ優勝は前任者が磨き上げた攻撃力に、「守備意識の徹底」という自らの色を加えた、過不足のない化合物ととらえることもできる。その意味で今の代表にはもってこいの人材と言えよう。

 

 

<この原稿は18年7月25日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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