この日、江川は珍しく乱調だった。2回裏には先頭打者から3連続四球を与えた。コントロールのいい江川にとって、3連続四球は記憶にないことだった。

 

<この原稿は2011年10月号『文藝春秋』に掲載されたものです>

 

 実は突然の乱調には理由があった。前日、雨で試合が順延になったのだ。連日、報道陣に追いかけ回されていた江川には精神的な休養が必要だった。

 

「部屋にいると報道陣からガンガン電話がかかってくるので、食堂の横のソファーで横になっていたんです。短いソファーだっただめ、頭がはみ出てしまい、首を痛めてしまった。起きると首が全然、廻らないんです。だから試合中は一塁への牽制もできなかった……」

 

 寝違いの代償は高くついた。1対0とリードした5回裏、広島商は1死から7番・達川が四球で出塁。エンドラン(サードゴロ)で二進後、9番・佃正樹のライト前ヒットで同点に追い付くのである。

 

 左利きながら右打席で放った佃の打球は詰まったライトフライに見えたが、なぜかライトの和田幸一は深く守りすぎていた。打球は和田の前にポトリと落ちた。これにより江川の連続イニング無失点記録は82で止まった。

 

 剛の江川に対し、広島商の左腕エース佃は柔だった。落差のあるカーブを武器に、ゴロの山を築きあげた。

 

 そして迎えた8回裏、広島商は先頭の金光興二(現法大監督)が四球で出塁する。続く川本幸生はバントを失敗し、ファーストフライに倒れたが、3番・楠原基の打席で金光が二盗を決めた。首を痛めている江川にランナーを振り向く余裕はなかった。

 

 楠原はショートへの内野安打で1死一、二塁。4番・大城登は三振に倒れたが、5番・大利裕二の3球目に金光は三盗を企てる。もちろん迫田のサインだ。

 

「投げるな!」

 

 江川の叫びは大歓声にかき消された。意表を突かれたキャッチャーの小倉(現亀岡)偉民の送球は高くそれ、金光はまんまと本塁を陥れた。

 

 準決勝で敗退したものの、江川は4試合で大会史上最多となる60三振を奪った。この記録は未だに破られていない。

 

 江川のストレートはいつが一番、速かったのか。バッテリーを組んでいた小倉は「間違いなく高校2年の秋」と断言する。

 

「2年の夏の大会が終わった後、予選敗退の責任をとらされるかたちで監督の渡辺富夫さんが辞任した。渡辺さんの練習は厳しく、江川はそれで下半身が鍛えられた。そこから解き放たれたこともあってか、江川はものすごいボールを投げるようになった。(『巨人の星』の)星飛雄馬ばりに(フォームは)足が頭の高さまで上がっていた。カーブも大きく、打者の頭の近くから曲げると尻持ちを突いていましたよ」

 

 改めて江川の成績を調べてみて驚いた。江川は高1の夏と高2の夏、2度も県大会で完全試合を達成しているが、いずれも7月23日なのである。

 

「実は3回目もあったんですよ」

 何食わぬ顔で江川は言った。

 

「高3の7月、相手は氏家。あるバッターを三振に切って取った瞬間、キャッチャーがチョロッとボールをこぼしたんです。そのまま一塁に投げたらアウトだったんですが、なぜかファーストの鈴木秀男が一塁ベースの前に出て補球した。これでセーフ。振り逃げが成立して完全試合は幻に終わってしまった」

 

 同じ月に3年連続で完全試合を達成していたとしたら、これはもうギネスブックものだろう。この試合も含め、公式戦でのノーヒットノーランは7回。木製バットの時代だったとはいえ、この記録はアンタッチャブルである。

 

 笑うに笑えない話がある。江川が2年の時だ。レギュラーキャッチャーの小倉が骨折していたため、控えのキャッチャーがマスクをかぶった。日頃、江川のボールを受けていなかったため、高めに伸びてくるストレートをミットに収められず、そのまま審判の首を直撃してしまったというのだ。

 

 江川の回想。

「かわいそうなことに、キャッチャーは審判からものすごい勢いで怒られていましたね。“何してんだ!”って。その審判はムチ打ちになってしまったそうです」

 

 江川のトレードマークである「ホップするストレート」はいったいどのようにして生まれたのか。それを知るには少年時代にまで遡る必要がある。

 

 江川は少年時代を静岡県の佐久間ダム近くの小さな集落で過ごした。古河鉱業(現古川機械金属)に務める父・二美夫さんの仕事の関係だった。

 遊び場は天竜川だった。向こう岸は崖になっており、そこを目がけて来る日も来る日も小石を投げた。対岸までは100メートルほどの距離があった。

 低学年の頃は20~30メートルで失速し、小石は水面にポションと消えた。無理もない。大人が投げても川の真ん中あたりまでしか届かないのだ。

 それでも少年は来る日も来る日も小石を投げ続けた。やがて50メートルが70メートルになり、ある日、ついに「ガシャン」という心地良い音を聞いた。小石が対岸の崖に届いたのだ。

 いかにして小石を対岸に届かせるか。少年は工夫を重ねた。小石に飛距離を持たせるには風に乗せるしかない。指のしなりを利用し、小石にスピンをかけた。

 

 江川の回想。

「スピンをかける時は(指を)引くイメージ。これによってギューンと回転を与えるんです。川の向こうに届かせるまでに3年かかった。それが子供の頃、唯一、夢中になった遊びでした」

 

 石の上にも3年、ならぬ石を投げても3年――。痛快なことに江川の「ホップするストレート」は遊びから生まれたものなのだ。

 

 では実際にボールはホップするものなのか。


<回転の速い直球は、重力と(打者から見た)上回転によって生じる揚力との力関係で、球の落ち具合が決まる。上方向の回転力が特に強く、スピードのある豪速球であれば、揚力が重力に勝って、浮き上がる球にもなるだろう>(小岩利夫著『野茂のフォークはなぜ落ちる』日本実業出版社)

 

(後編につづく)


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