全国高等学校野球選手権大会(通称・夏の甲子園)は、この夏で100回目を迎えた。

 

 

<この原稿は2018年8月17日号『漫画ゴラク』に掲載された原稿を一部再構成したものです>

 

 節目の大会を記念して、今年は従来の北海道と東京に加え、参加校の多い愛知、神奈川、大阪、千葉、兵庫、埼玉、福岡からも2校が選出された。

 

 高校野球史上最高のヒーローは「北国のエース」と呼ばれた三沢(青森)の太田幸司というのが私の持論である。

 

 1969年夏、寒冷地の代表ながら決勝に進出し、四国の強豪・松山商(愛媛)と延長18回引き分け、再試合の名勝負を繰り広げた。頂点には立てなかったものの、太田はひとりで炎天下のマウンドを守り抜いた。

 

 絵に描いたような「白面の貴公子」。ファンレターは「青森県 太田幸司様」だけで届いたという。

 

 しかし高校野球史上、最も「モテた」選手となると、この御仁を措いて他にはいまい。80年夏から82年夏まで、5季連続で甲子園に出場した早実(東京)のエース荒木大輔である。

 

 ニックネームは「大ちゃん」。甘いマスクとスラリとした長身に加え、都会っ子らしいスマートな振る舞いが全国の女子高生のハートを射止めたのである。

 

 そんな荒木に「ジェラシーを覚えた」のが81年夏、3回戦で戦った報徳学園(兵庫)の金村義明だ。

 

「荒木の人気はハンパじゃなかった。“松田聖子カット”をした女子高生が、もう見たこともないくらいの数、甲子園にあふれ返っているんです。

 

 荒木が移動するたびにギャーギャー、キャーキャー。京阪神間の女子高生を皆、持っていかれてしまった。

 

 一方、(当時の)報徳いうたら、女子高生が皆、逃げていくような高校でした(笑)。まして荒木はひとつ下。“もうコイツにだけは絶対負けられん”と。こっちは気負いまくっていましたよ」

 

 荒木へのジェラシーをモチベーションに変えて、金村は「4番エース」で大活躍。母校に深紅の大旗をもたらしたのである。

 

 荒木本人にも“モテぶり”を振り返ってもらった。

「僕は自宅から練習場までバスと電車を使って移動していたのですが、練習帰りについて来る子がいて困りました。

 

 そして電話。まだ電話番号が電話帳に記載されている時代だったので、自宅にまでジャンジャン電話がかかってきた。しかも、我が家は工務店を営んでいて、新聞などにも住所や電話番号が掲載されていたから余計に大変。朝から晩まで鳴りっ放しの時もあったようです」

 

 平成最後の夏、シンデレラボーイは現れるのか……。

 


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