越すに越されぬ白河の関である。「平成最後の怪物」の力を持ってしても、東北の地に大旗を持ち帰ることはできなかった。

 

 秋田勢として103年ぶりの決勝進出を果たした金足農。怪腕・吉田輝星の奮闘に期待がかかったが大阪桐蔭の軍門に下った。

 

 これで東北勢は春夏通じて決勝12連敗。決勝で黒星が12も並ぶなんてことがありえるだろうか。12連敗のうち1点差が4つ、2点差が3つ。これはもう、何かに呪われているとしか言いようがない。

 

 連想するのはカブスの“ヤギの呪い”である。その昔、ウィリアム・サイアニスという男がシカゴに住んでいた。居酒屋の店主だったビリー(サイアニスの愛称)は「マーフィー」というヤギを飼っていた。

 

 1945年10月6日、地元リグレーフィールドでのタイガースとのワールドシリーズ第4戦。ビリーはマーフィーを連れて球場にやってきた。チケットも2枚用意していたが悪臭を理由に入場を拒否されてしまう。「ヤギを球場に入れない限り、カブスがワールドシリーズを制することはない」とビリー。この時点で世界一にあと2勝と迫っていたカブスだが、結局、タイガースに敗れてしまう。

 

 ここまでなら居酒屋のオヤジの単なる捨て台詞だが、2016年にインディアンスを破って世界一になるまで、カブスは108年を要した。その間、カブスファンがあの手この手で“ヤギの呪い”を解こうとしたのも理解できるだろう。

 

 東北のチームが限りなく日本一に近付いたのは1969年の夏である。三沢(青森)対松山商(愛媛)の決勝は0-0のまま延長にもつれ込み、迎えた15回裏、三沢は1死満塁のチャンスをつくる。しかも3ボールナッシング。エース井上明はひとつストライクをとり、5球目、低めにストレートを投じた。それを立花五雄は「低い」と見送った。だが郷司裕主審の判定はストライク。当時、東北の人たちは3人集まれば、この話で持ち切りだった。

 

 生前、郷司にこの件を質すと、「もちろん判定には自信を持っている」と前置きした上で「東北勢が甲子園で優勝したら、この話も過去のものになるんでしょうね」と神妙な口ぶりで言った。話を聞いてから、もう30年以上が過ぎた。やまない雨はない。明けない夜はない。解けない呪いもない。そう思いたいのだが、現実は一筋縄ではいかない。

 

<この原稿は18年8月22日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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