甲子園の土の売買は是か非か? そんな論争が世間をにぎわしている。フリーマーケットアプリ「メルカリ」に出品された「甲子園の土」に値が付き、それを巡っての甲論乙駁である。

 

 ある社会学者の「そもそも甲子園で生まれた土じゃなくて、どっかから持ってきた土でしょ。そんなの集めてどうするんですか」とのコメントには笑った。確かに、その通りである。成分検査でもしなければ、本当に甲子園の土かどうかわからない。とはいえ、それをするのも野暮である。要は「イワシの頭も信心から」という類の話なのだ。

 

 それこそ社会学的な見地から考察するなら、なぜ「どっかから持ってきた土」を、高校野球ファンはこれほどまでにありがたがるのか、そして値が付くのか。それを解き明かした方が建設的だろう。

 

 甲子園の土が「神話性」を持ち始めた端緒として、1958年夏に起きた首里高の“甲子園の土没収”事件を素通りするわけにはいかない。戦後初の沖縄代表として甲子園に出場した首里は、善戦むなしく初戦で敗退した。その無念の記憶として、汗と涙の染み込んだ土を袋に詰め、沖縄に持ち帰ろうとした。

 

 ところが、である。当時の沖縄は米国の統治下にあった。そのため検疫に引っかかり、海に捨てられてしまったのである。これは社会問題にまで発展し、同情した客室乗務員が捨てられた土の代わりに小石を送るという美談を生む。石は検疫の対象外だったからだ。

 

 このように同情は神話形成には欠かせないアイテムである。高校野球史上最高の名勝負と言われる1969年夏の決勝でも甲子園の土がクローズアップされた。四国の名門・松山商(愛媛)相手に延長18回と再試合、ひとりで27イニングを投げ抜いた三沢(青森)の太田幸司は優勝校の校歌斉唱など一連のセレモニーが終了した直後、ひとりチームの輪から離れ、マウンドに向かったのだ。いったい何をするのか。視線を一身に浴びた“北国のエース”は腰を落とすや黙々と土を袋に詰め、立ち上がると足早にマウンドを去った。その所作の、ある種儀式性を帯びた美しさに人々は目を奪われた。

 

 かくして太田は不世出のヒーローとなり、土は「神聖なる」甲子園のシンボルへと昇華していった。たかが土、だから尊いのである。

 

<この原稿は18年8月29日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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