この日、ソフトボール日本代表のエース上野由岐子が投じた249球目、110キロ台のストレートは米国代表の9番ケルシー・スチュワートに見事に打ち返された。左打者特有の三塁線に切れていく打球だった。

 

 

 これがサヨナラ打となり、延長10回に及ぶ死闘は7対6で米国に軍配が上がった。負け投手となった上野はカクテル光線の中で天を仰いだ。

 

 さる8月12日、千葉・ZOZOマリンスタジアムで行われた世界女子ソフトボール選手権大会最終日。上野は3位決定戦と決勝のダブルヘッダーに先発登板し、計17イニング249球をひとりで投げ抜いた。

 

 先述した決勝の米国戦では2点の援護をもらいながら、3回に3ランを浴びて試合をひっくり返された。延長タイブレークに入ってから2度勝ち越したものの、上野はリードを守れなかった。「皆が6点取ってくれた試合を勝てなかったのは申し訳ない」と肩を落とした。

 

 体力は限界に達していた気温30度近い、炎天下でのデーゲームから、約3時間半後に決勝は行われた。上野は「それが理由にはならない」と述べたが、米国打線に集中打を浴びたのは疲れに依るものだろう。

 

 上野と言えば、2008年北京五輪での“413球”が思い出される。決勝トーナメントに入ってからの2日間3試合で413球をひとりで投げ抜き、金メダルの立役者となったのだ。

 

 神様、仏様、上野様――。

 

 1958年のプロ野球日本シリーズで、西鉄は巨人に開幕から3連敗を喫した。あとのない西鉄・三原脩監督は、残り4試合全てのマウンドに絶対的エースの鉄腕・稲尾和久を送った。

 奇跡の4連勝。MVPに輝いた稲尾を称える地元紙の見出しが「神様、仏様、稲尾様」。そんな歴史上の人物に匹敵する活躍を上野は五輪の舞台で演じてみせたのである。まさしく“女鉄腕”だった。

 

 だが、この金メダルを境に上野は、不遇を余儀なくされる。ソフトボールは2012年ロンドン五輪、2016年リオデジャネイロ五輪と2大会連続で実施競技から除外された。北京五輪で26歳だった上野は現在36歳、東京五輪は38歳で迎える。「私の青春を返せ!」と言いたいところだろう。

 

 全盛期「世界最速」とうたわれた121キロのストレートは115キロ前後にまで落ちた。もう力だけでねじ伏せることはできない。

 

 柔よく剛を制す、とばかりに上野は変化球に磨きをかけた。ライズボール、ドロップ、シュート……。多彩な変化球と熟達の投球術で打者を手玉に取る。

 

 今回の世界選手権でも、上野は予選リーグの4試合、18回3分の1を投げ、1点も取られなかった。さらには準々決勝のプエルトリコ戦で5回無失点、3位決定戦のカナダ戦は完封。そこにはモデルチェンジに成功した新たなエースの姿があった。

 

 本人は2年後に迫った東京五輪を、どう見据えているのか。「勝つことを求められている。今回は結果を残せなかったけど、五輪でリベンジできればいい」。視線の先には、2つ目の金メダルがある。

 

<この原稿は『サンデー毎日』2018年9月9日号に掲載されたものです>

 


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