第138回 不世出の名騎手 的場文男の世界
さる8月12日、地方競馬通算最多となる7152勝を達成した的場文男(大井)は、この原稿を書いている9月3日現在、記録を7161にまで伸ばしている。現役2位の石﨑隆之(船橋)は62歳で6269勝。的場の記録はほぼアンタッチャブルだ。
的場も9月7日で62歳になった。還暦を過ぎても、勝利への執念には陰りが見られない。比類なき闘争心は、いったいどこからくるのだろう。
<富士山が好きなんです。今は高いビルなどがたくさんできてしまったので見えないのですが、以前は調教に出かける前、マンションのベランダから富士山を見て、富士山みたいな人生が理想だと思っていました>(自著『還暦ジョッキー』角川書店)
また的場は、こうも述べている。
<やがて頂上に登り詰めて、頂上の平らな時期はできるだけ長いほうがいい>(同前)
それはジョッキーのみならず、すべてのアスリートが望むことだ。とはいえ、いずれ山を下りる時期は確実に訪れる。ゆっくり、ゆっくり、時間をかけて下りていきたいと的場は考えている。
この不世出のジョッキーには代名詞がある。的場ダンス――。馬上で踊るような独特の騎乗スタイルから、そう命名された。
しかし、それは的場にとって名誉なものではない。馬に負荷をかけているからに他ならないからだ。
<以前なら馬にピタッと吸い付くような姿勢のまま追うことができました。よくあんな乗り方ができたなと思うこともあります。今は、馬の能力を引き出そうとすると、どうしても上体が起きてしまう。体を浮かさないと馬を動かせなくなった。それで馬に負担をかけているとは思います。ただ、それが今の自分の精一杯です>(同前)
それでも私たちが的場ダンスに魅了されるのは、鞍上での必死な姿に心を揺さぶられるからだ。
ひとたび勝負服を身にまとえば20代も60代も関係ない。この世界は勝ち鞍と着順が全てである。
齢を重ねれば反射神経は鈍る。筋力も劣える。それを的場は執念と経験によって補ってきた。
「馬から降りればただのオジさん」
的場は自虐的に、そうつぶやく。その言葉の裏には「馬に乗れば、ただのオヤジじゃないぞ」との強烈な自負が張りついている。
せめてあと3年、的場には高齢者の仲間入りをするまで現役を続けてもらいたい。
<この原稿は『漫画ゴラク』2018年9月28日号に掲載されたものです>