ほんの一昔前まで、海外でプレーすることは日本代表でのレギュラー・ポジションを約束されることに等しかった。どんなチームであっても、またチーム内での立場が相当に弱いもの、つまりはベンチを温めたり、ベンチから外れることさえあったとしても、籍が海外にあるのであれば、日本代表での立場は安泰だった。

 

 Jでプレーする選手たちからは、当然不満の声が聞こえてきた。いつしか一般的になっていった「海外組」という言葉には、どれほど結果を出してもなかなか認めてもらえない、国内でプレーする選手たちの怨嗟が込められていたようにも思う。「田舎の学問より京の昼寝」という諺が、物の見事に当てはまってしまう社会だった。

 

 とはいえ、これにはやむを得ない部分があったし、それはいまも変わらない。いまだ芸能人を引っ張ってこなければサッカー番組が成り立たない国と、1世紀以上もサッカーが国技であり続けている国との差は、簡単に埋まるものではない。相手のミスを直接的に叱責することを避けたがる国民性は、欧州や南米の選手がイヤでも身につけていく「禁忌の感覚」を鈍らせてしまう。何度も書いてきたが、この国は世界でもっともストライカーの「エラー」に対して寛容な国である(マイノリティーであるGKのミスに対しては容赦ないが)。

 

 ただ、海外組と国内組の二層構造で成り立ってきた日本代表の図式は、ここにきて急速な変化を遂げつつある。

 

 まず、日本代表での活躍が評価されて海外へ、という流れが必ずしも本流ではなくなった。若い世代が、海外のクラブを「プレーする場所の選択肢の一つ」と捉えるようになり、代表での地位とは関係なく海を渡るようになったからである。日本サッカー全体の評価が高まり、日本人選手を「YEN」ではなく「才能」として見るクラブが増えたのも大きかった。

 

 海外でプレーする選手の激増は、当然のことながら競争の激化を生む。これまで、海外で活躍している選手が代表に呼ばれなくなるのは年齢的な理由がほとんどだったが、これからは、そんな「終身雇用」的な使われ方はなくなるだろう。近い将来、一度も代表に呼ばれることなく現役を終える「海外組」も出てくるはずである。

 

 Jリーグの側にも変化が出てきた。必要以上に重視されてしまった感のある「身の丈にあったクラブ経営」なるリーグの方針は、ここにきて大きく舵を切った。イニエスタに代表される超大物の来日は、チームメートとしてプレーする選手だけでなく、対峙する者にも大きな影響を及ぼしていくだろう。しばらくは、海外組が代表枠を奪い合う時期が続くだろうが、その後は国内のスターが、国内残留を選択したという理由ゆえに人気を博す時代が来るかもしれない。

 

 何やら妙にポジティブな気分になってしまうのは、たぶん、パナマ戦が影響している。誰もレギュラーが確約されていないこの状況こそ、日本サッカー界が長く目指してきたものに一番近いはずだからである。

 

<この原稿は18年10月11日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


◎バックナンバーはこちらから