記録以上に記憶に残る名横綱――それが、さる10月8日、70歳で死去した輪島だった。

 

 

 輪島といえば代名詞は“黄金の左”だ。左下手投げを武器に14回も賜杯を抱いた。これは歴代7位である。

 

 今から8年程前、私は「オールナイトニッポンサンデー」というラジオ番組の“にわかDJ”を務めていた。

 

 好きなゲストを呼んでいい、という条件で引き受けたこの仕事、相撲界からは輪島を指名した。私がファンだったからだ。

 

 得意の左下手投げについて聞くと、輪島は、ひょうひょうとした口ぶりで「あれはね、読んで字のごとく“へたな投げ”と言うんですよ。一方、上手投げは“じょうずな投げ”。僕はへただったんだな、アッハッハッ」

 

 上手と下手の投げの打ち合いは、体を外からかぶせることのできる上手が有利というのが、この世界の定説だ。

 

 だが輪島は、古くからの角界の常識を覆し、学士力士としては初めて横綱にまで上り詰めた。「天才」たる所以である。

 

 とりわけ1973年から81年にかけての北の湖(故人)との対決は列島を二分するほどの人気を誇った。両雄のしこ名から一字をとった「輪湖時代」は大鵬、柏戸の「柏鵬時代」とともに大相撲が続く限り、永遠の名勝負として語り継がれていくことだろう。

 

 北の湖との対戦成績は輪島の23勝21敗。優勝回数こそ24回の北の湖に遠く及ばなかったものの、直接対決での勝ち越しは「天才」と呼ばれた男の、せめてもの意地だったように思われる。

 

 ラジオではライバル北の湖についても訊ねた。

「北の湖はね、とにかく腰が重かった。同じ相四つだったんだけど、ちょっとやそっとのことではびくともしない。その上、体がやわらかく、敏捷なんです。44回も対戦しているけど、僕はいつもフウフウ言っていましたよ。最強は僕じゃなく北の湖でしょう」

 

 忘れられないのが74年の名古屋場所だ。横綱・輪島12勝2敗、大関・北の湖13勝1敗。星ひとつの差で追う輪島は千秋楽、決定戦ともに左下手投げで北の湖を破り、逆転優勝を果たしたのだ。

 

「北の湖はちょっと硬くなっていたね。僕は13番勝った時点で、横綱の責任を果たしたと思うと気が楽だった。場所が終わったら、どこでゴルフやろうかと考えていましたよ、アッハッハッ」

 

 天衣無縫を絵に描いたような人物だった。もう、こんな人間味のある横綱は出ないだろう。合掌。

 

<この原稿は『漫画ゴラク』2018年11月9日号に掲載されたものです>

 


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