若いころに見た姿が、その後の将来とまったくつながらない選手がいる。素晴らしく明るい未来が待っているかと思われたのに、そうならなかった選手。まあそこそこだろうな、と思っていたら大化けした選手。後者の例で言うと、わたしが真っ先にイメージするのはアリエン・ロッベンである。

 

 チェルシー時代、そしてレアル・マドリード時代のロッベンを、わたしは「得点力のあるチャンスメーカー」だと見ていた。パワーはある。スピードも十分。ただ、役割はあくまでもチャンスをつくり、アシストを重ねることであり、点をとるということに関してはあくまでも二次的産物だと思っていた。

 

 印象がガラッと変わったのは、バイエルンに移籍してからだった。チェルシーでの3シーズンで15点、レアルでの2シーズンで11点しかあげていなかった男が、1シーズン、それも24試合に出場しただけで16点をあげた。これはもう、正真ストライカーでなければ残せない数字でありアベレージである。

 

 激変の要因は、むろん一つではあるまい。ただ、バイエルンに移籍してからのロッベンは、何という、“必殺技”を持ったような印象がある。そして、その必殺技の破壊力と幻影を武器にしたことが、彼をチャンスメーカーからゴールゲッターへと変身させた気がする。

 

 右サイドから中に切れ込んでの左足インフロント。

 

 足の振りが速いロッベンは、DFからすると十分にコースを消しているように感じられる状況からでも、枠を狙うことができる。当然、右サイドで対峙したDFはその「必殺技」を真っ先に警戒するが、ロッベンはまれに、しかし一定の割合で縦への抜け出しを織り込んでくるからたちが悪い。

 

 一番いけないのは縦に抜かれることという教育を身体に染み込ませているDFたちは、それが「必殺技」をいかすためのフェイクとわかっていても反応せざるをえず、「縦もある」との思いが「必殺技」への対応を鈍くさせる。

 

 つまり、ロッベンが実践しているのは、釜本邦茂さんが言うところの「点をとるところから逆算してプレーを考える」ストライカーの哲学そのものなのである。釜本さんも、ゴール前右45度という絶対的なゾーンを持ち、そこでの強さと、DFが自分に対して抱くイメージをも利用してゴールを量産したストライカーだった。

 

 最近の堂安律のプレーには、同種のにおいを感じる。

 

 フローニンゲンでの映像や自身のコメントを見てみると、堂安自身、右サイドからカットインして左足、という流れには絶対的な自信を持ちつつあるようだ。自覚できる自分の武器があれば、それを生かす道と、それを囮にする道が生まれる。漠然とチャンスを待つよりは、はるかに高い確率でゴールを奪うことができる。

 

 釜本引退以来、日本サッカーは長くストライカー不足に悩まされてきたが、堂安の台頭と、ゴールゲッターとして覚醒しつつある南野の存在は、そんな歴史に終止符を打つかもしれない。かつてない予感と共に迎える、代表ウイークである。

 

<この原稿は18年11月15日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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