新型コロナウイルス感染拡大の影響により中断していたJリーグが再開した。J1の首位を走っているのは川崎フロンターレだ。川崎Fにとって、朗報がある。昨年11月から左ひざのケガにより戦線を離脱していた司令塔・MF中村憲剛が8月に復帰予定だという。既にチームの練習には部分合流している。彼はこのチームの中心的存在だ。広い視野と高度なテクニックで攻撃を司る司令塔に4年前、インタビューをした。当時の原稿を今一度、読み返そう。

 

<この原稿は『ビッグコミックオリジナル』(小学館)2016年11月5日号に掲載されたものです>

 

 サッカー日本代表監督のヴァイッド・ハリルホジッチがロシアW杯を目指すアジア最終予選の代表メンバー発表会見の席で、「バックアップメンバーには35歳の選手を考えています」と語ったのは8月25日のことだ。

 

 35歳の選手が川崎フロンターレのMF中村憲剛のことであることは明らかだった。

 

 この会見の5日前、埼玉スタジアムで浦和レッズ対川崎F戦が行われ、川崎Fが2-1で勝利を収めた。この試合をハリルホジッチは関係者席から見ていた。

 

 先制点は中村の右足によってもたらされた。絶妙なポジショニングと狂いのないフィニッシュ。バックアップメンバー発言の背景にはこのプレーがあったものと思われる。

 

 日本代表最多の152キャップを誇るMF遠藤保仁(ガンバ大阪)を構想外とするなど、指揮官は代表の若返りを進めていたのではなかったか。逆に言えば、それだけ中村のプレーが心に残ったということだろう。

 

 ひとりの指導者との出会いがベテランを変えた。12年に川崎Fの監督に就任した風間八宏である。

 

 4年前を中村は、振り返る。

「それまではシステムや組織に縛られるのが当たり前だと思っていた。30歳を過ぎれば、技術的にも、もう伸びないのかなと……。

 

 ところが風間さんは、“まだ伸ばせる”と言うんです。トラップの技術ひとつとってもそうだし、パスも意識次第で速さも精度も変わると。個人の質が高くなればチームも変わる。そういう発想を持った指導者は初めてでした」

 

 技術の詳細については実演を交えながら説明してもらった。

「たとえばトラップ。それまでは1、2、3くらいで前を向いていたのですが、“1で向け”と。体の構え方や足首の角度など、ちょっとしたことで、それが可能になるんです。“そうすることで世界が変わるんだぞ”とも。実際に風間さんの言うとおりでした」

 

 サッカーのみならず、スポーツは固定概念が支配する世界である。いわく、30歳を過ぎれば技術は伸びない。いわく、個人よりも組織。いわく守備は計算できるが、攻撃は計算できない――。

 

 風間は、それをことごとく否定し、自らのサッカー観をチームに浸透させていった。

「やっている方も見ている方も楽しいサッカーを目指す」

 

 監督に就任して2年目の13年のシーズンは開幕から6試合、白星がなかった。理想に現実が追いついてこないのだ。それでも風間は泰然としていた。

 

 中村の回想――。

「出だしから勝てない時は、正直言って、“これはヤバイんじゃないか”と思いましたよ。それでも監督は全くブレなかった。正直スゴイなと思いました」

 

 03年に川崎Fに入団以来、このチーム一筋。絶妙のポジショニングと正確無比なパスでチャンスを演出する中村は、今やチームにとってはなくてはならない存在だ。

 

 彼を初めて代表に選出したのは理論派で鳴るイビチャ・オシム。中村は練習法からして衝撃を受けた。

 

「いきなり7色ビブスの練習を始めたんです。“なんじゃこれは!?”と思いました。しかし、実はよく考えられているんです。

 

 色によって味方だったり敵だったり、ボールを回す相手だったり、回しちゃいけない相手だったり……。また、それが時間ごとに変わっていく。あの練習には目を鍛えるという意味もあったんだと思われます」

 

 子供の頃から小柄でやせっぽちだった。フィジカルで劣る分は頭で補ってきた。オシムと出会って「自分のこれまでの道のりが肯定された」気持ちになった。

 

「オシムさんには、こちらからもアイデアを出しました。“こういう考えもあるんじゃないですか?”と。ちょっと反抗的だったかもしれないけど、オシムさんはそれを喜んでくれた。建設的なディスカッションが好きだったみたいです」

 

 10年南アフリカW杯には29歳で出場した。サッカー人生の集大成のつもりでプレーした。

「その年、僕は30歳になりました。まわりから“下り坂だな”と思われるのが嫌で必死になって戦ってきた。すると不思議なもので、これまで見えなかったものが見えてき始めたんです。この世界は頭と技術さえあれば勝負できるんだなと……」

 

 中村の話を聞いていて、引退前のラモス瑠偉の言葉を思い出した。彼はこう言ったのだ。

「ボクは今が一番うまいね。相手が何を考えているか、まわりがボクに何を求めているか全部わかるよ。それなのに引退しないといけない。サッカーは不思議だね」

 

 ラモス41歳の秋である。

 

 少年時代、中村はヴェルディ川崎のサポーターで、ラモスの大ファンだった。

「ラモスさんは細いしガニ股でしょう。僕も同じ体型だったので、勝手に自分を投影していたところがあったんです。

 

 それだけに引退前のラモスさんの言葉はよくわかりますね。僕も今が一番うまいと思っている。それが証拠にピッチの上で、あまり想定外のことに遭遇しなくなってきた。“この試合はこうなるだろうなァ”と思って戦っていると、だいたいそうなる。特に今年に関しては、そんな試合が多いような気がします」

 

 川崎Fはファーストステージの優勝こそ逃したが、セカンドステージ第13節、ホームで行われた横浜・F・マリノス戦に3-2で勝利し、年間順位3位以内を確定させた。これにより、チャンピオンシップの出場権を得た。

 

 97年にチーム創設以来、川崎FはまだひとつもJリーグのタイトルを手にしていない。風間体制5年目の今年こそは――。熟達の35歳はJリーグ王者に贈られるシャーレを、キャプテンとして高々と掲げるシーンを頭の中に描いている。


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