「12月15日に池上本門寺の祖父の墓前の前で法要を行いますので、もしご都合が合いましたら、是非お越しください」

 祖父とは、あの力道山のことを指す。これは、力道山の孫にあたる百田力(ももた・ちから)選手から来たメールなのだが、今年は没後55年にあたり、力道山メモリアルイヤーなのだ。そのため力道山関連のイベントが各地で行われている。

 

「すみません。同じ日に地元の相模原の文化事業で、力道山先生の映画を上映するイベントに親しい関係者が関わっており、そちらにご招待されておりまして、申し訳ありません」

 僕は力選手に丁重にお断りを入れたのだった。

 実は、相模原市の加山俊夫市長が大の力道山ファンということもあり、相模原市民会館の大ホールで、命日にイベントが大々的に行われるのだった。映画上映だけでなく、その後に加山市長が力道山について語る2部制となっている。かなりの力の入れようなのだ。僕は来賓席にての鑑賞となったが、上映される映画は、『怒涛の男・力道山』。本人が出ているだけでなく、若き日の美空ひばりも友情出演しているという。

 

 この映画は、なんと1955年に公開されたものなのだ。今から63年も前ということになる。自分が生まれる前の日本を見られるということもあり、僕は興味津々であった。

 

 プロレスが社会に影響を及ぼしていた時代を垣間見ることができる絶好のチャンスなのだ。

「映画の2年後に行われた力道山とルー・テーズとの一戦は、日本テレビで生中継され、なんと視聴率が87%を記録したそうですよ」

 今回の文化事業に携わった学芸員の柳川氏が教えてくれた。

 

 87%という驚異的な数字が当時のプロレス人気を妙実に表わしているが、凄すぎる。

 やはり気になるのは、そのファイトマネーだ。柳川氏は続ける。

「力道山クラスになると1試合のギャラは、7万円から10万円だったそうで、現在の150〜200万円くらいだと思われます。当時の横綱の年収が100万円というから、それを考えると本当に凄いですね」

 

 同じプロレスラーの身として、誇らしい気持ちになる。さすがはプロレスの父である。

 これまた凄いのが、シャープ兄弟との14連戦となる「ワールドチャンピオン・タイトルマッチシリーズ」だ。蔵前国技館で4回、大阪で2回、熊本・小倉・神戸・岐阜・名古屋・静岡・宇都宮・横浜と行なったそうだが、全ての会場で観客動員の記録を更新したそうだ。

 

「興行収入は、8000万円と言われているので、現在だと数十億円と考えられます。力道山は、興行主から合計400万円、つまり現在の1億6000万円くらいのお金を手にしたことになります」(柳川氏)

 1シリーズだけで、1億円以上を稼いだなんて凄まじい。プロレスが、メジャースポーツに負けない力を持っていた時代があったことの証明である。

 

「力道山は、大田区に300坪の土地を買って豪邸を立てたそうですよ」と柳川氏は言う。

 僕は、この時代に生まれてプロレスをやりたかったと心底思った。

「垣原さん、このシャープ兄弟戦の後に更に凄い展開が待っていたのです。柔道の木村政彦との昭和の巌流島と呼ばれる決戦なのですが、それはもう日本中が大熱狂ですよ」

 

 僕はこの試合をYouTubeの映像で何度か観たことがあるが、目を背けたくなるほどの凄惨マッチだった。当時の観客は、どのような反応だったのだろうか?

「この時、木村に花束を渡した名子役の松島トモ子(当時9歳)は絶叫し、極真空手の大山倍達は涙を流しながら力道山に飛びかかろうとしたことは有名な話です」

 この柳川氏の話からもプロレスの試合を超越し、大きな事件だったことが窺える。

 

 試合は木村の急所蹴りに怒った力道山がキレて、顔面にグーパンチからの平手連打。最後は硬いリングシューズの爪先による顔面蹴りで、木村の歯が折れて血だるまになり、失神KOという壮絶な内容となった。

「テレビはNHKと日本テレビが放送し、ラジオはNHKとニッポン放送だったのですが、視聴率は100%という驚異の数字。世紀の一戦だったことがわかりますよね」

 柳川氏からのこの驚愕の話にどう反応して良いかわからない。現代の感覚からだと真実とは捉えられないからだ。これは時代背景があってのことで、現在と単純に比べることができないが、プロレスが持つ爆発力は他のジャンルを凌駕していたことがわかる。

 

 しかし、あの試合を小さい子も見たと思うと複雑な気分になる。

 さて、前述の映画だが、力道山の名演技もさることながら、その鋼のような肉体に目を奪われた。

「ここ相模原にも力道山は来ました。私は当時、小学生でしたが、その時のことを鮮明に覚えています。

力道山は、その屈強な体をアピールするため、パフォーマンスとしてバットで体を殴らせるのですが、その役を私の同級生がやりましてね」

 加山市長のプロレス話は熱を帯び、さながらプロレスファン向けのトークイベントのようだった。少年時代の市長をここまで虜にしたプロレスで町おこしができないだろうか?

 

「これは、相模原で『森のプロレス』をやるしかないですね」

 僕は学芸員の柳川氏にすぐさま提案してみた。マッチメークもすでに考えている。

 

 UWFスパーリングマッチでの特別ルールで、力道山の孫である力選手と柔道経験のあるレスラーとの対戦などはどうだろうか? 相模原で行う以上、地元出身のレスラーに出てもらいたい。

 

 相模原出身のスーパースターといえば、新日本プロレスの真壁刀義選手である。彼は、相模原での高校時代に柔道部に所属していたので、条件も合致している。

 

 歴史とリンクさせながらも遊び心のある、こんな対戦カードがあっても良いのではないだろうか。

 平成が終わる前に相模原の地で、是非ともこの夢のカードを実現させたいものだ。


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