ジ・インテリジェント・センセーショナル・デストロイヤー。それが7日(日本時間8日)に他界した「白覆面の魔王」ザ・デストロイヤーの正式なリングネームである。

 

 マスター(修士)の学位を持つインテリレスラーは、しかし、リングに上がるとセンセーションそのものだった。

 

 日本初登場からして衝撃的だった。東京体育館のリングにスーツ姿で現れたデストロイヤーは力道山と対戦前のキラー・コワルスキーに握手を求め、拒否されると青白い顔に平手打ちを見舞ったのだ。

 

 相手はそんじょそこらのレスラーではない。コワルスキーである。ユーコン・エリックの耳をニードロップで削ぎ落とした男である。「コイツ、何者だ!?」となるのは当然である。

 

 力道山への挑戦権を得たデストロイヤーの必殺技「足4の字固め」を東京体育館の天井から撮った写真は衝撃的であると同時に芸術的でもあった。それこそ『レッスルする世界』でプロレスを描いたフランスの哲学者ロラン・バルトの表現を用いれば「公開された<苦しみ>と<屈辱>の古代的な神話、すなわち十字架と処刑台を再現している」(『現代社会の神話』みすず書房)構図そのものだった。

 

 外国人レスラーにしては短足で足の太いデストロイヤーに、この必殺技は、よく似合った。だが究極の拷問技が、よもや日本の子供たちに真似されるとは、さしもの「魔王」も想像だにしなかったに違いない。

 

 昭和の子供たちにとって、足4の字固めはプロレスごっこの花形であり、プロレス中継が始まると隣近所から悲鳴が聞こえてきた。兄弟くんずほぐれつ、時には父親まで“参戦”して、この必殺技をかけ合っていたのである。『三丁目の夕日』のシーンが全国津々浦々で実演されていたのだ。

 

 不慮の死をとげた力道山からジャイアント馬場へのエース交代は、ちょうどテレビのモノクロからカラーへの移行期に重なる。68年5月にNHKが「カラー契約」制を導入し、73年にはカラーの台数がモノクロを上回った。馬場の必殺技「脳天唐竹割り」をくらったデストロイヤーの「白覆面」が見る見る朱に染まる様は圧巻だった。その意味で、デストロイヤーはカラーテレビの普及にも一役買ったと言えるだろう。さらば、昭和の名ヒール。合掌。

 

<この原稿は19年3月9日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


◎バックナンバーはこちらから