五輪はイノベーションのショーウインドーでもある。ユニットバスが64年東京五輪開催をきっかけに誕生したことは広く知られている。

 

 国家開闢以来の訪日客をどう迎えるか。ホテルも足りなければ、人手も足りない。短い工期で効率よく大型ホテルを建設するためには、あらかじめ成型されたボディーを建造物に組み入れた方が省力化できる。コスト的にもリーズナブルだ。その発想がユニットバスに結びついたのである。五輪開幕直前にオープンしたホテルニューオータニにて初めて採用され、好評を博した。

 

 ユニットバス同様、私たちの日常生活に欠かせないものがある。「冷凍食品」だ。これも東京五輪とは切っても切り離せない関係にある。

 

 選手村の料理を担当したシェフのひとりに帝国ホテルの料理長だった村上信夫がいる。世界中から集まる7000人のアスリートに栄養価が高くバランスのとれた料理を提供するのは容易ではない。食材費も予算内におさめなくてはいけない。

 

 そこで村上はある食品会社と組み、冷凍食材を使用した料理の作成を試みる。もちろん、ただ安価なだけでは「おもてなし」とは言えない。組織委員会が望んだのはアスリートが思わず舌鼓を打つような味だった。

 

 五輪開幕直前の試食会で村上が冷凍食材からつくった料理は、時の五輪担当大臣・佐藤栄作をもうならせた。ゴーサインが事実上、出た瞬間だった。

 

 今回の東京大会、成否のカギを握っているのは五輪よりもパラリンピックだと私は考えている。前回のテーマが「伸びゆく東京」なら、今回は「暮らしやすい東京」である。老いも若きも、健常者も障がい者も、互いの垣根を感じることなく生活できる環境整備こそが未来へのレガシーとなる。

 

 元車いすバスケ選手の神村浩平は下肢障がい者向けの手動運転補助装置「ハンドコントロール」を販売する会社の社長だ。押せばブレーキ、引けばアクセル。つまりこれ1本あれば下肢障がい者でも片手ハンドルで車を運転できるのだ。

 

「障がいがあっても経営者になれる。社会にも貢献できる。それを証明したい」と神村。16歳で交通事故に遭い車いす生活を送ることになったが、車を運転するようになってから外の世界が広がった。「移動格差のない社会づくり」。それが彼のモットーだ。応援したくなる起業家のひとりである。

 

<この原稿は19年3月20日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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