3月末に開幕した四国アイランドリーグplus、ここから前期・後期、そしてその先にある独立リーグ日本一に向けて熱戦が繰り広げられる。選手の約半数が入れ替わった香川オリーブガイナーズは、新キャプテンに3年目の中村道大郎が就任。昨季、グランドチャンピオンシップで敗れて届かなかった日本一を目指す。西田真二監督が「グラウンドで一番声が出ている男」と評するキャプテン中村に話を聞いた。

 

 マジック3でチーム加入

 今季からキャプテンを任せられることになりました。オープン戦で好調だった分、チームに過信があったのか、開幕してから勝てるゲームを落とすなどなかなか上向きになりません。ですが、チームとして修正点の共有などもできたので、ここから盛り返します。

 

 キャプテンという役職は年齢が上の方(5月で27歳)ですし、小中高とずっとキャプテンをやっていたので戸惑いはありません。でも独立リーグは学生野球と違って年齢層が幅広い。そこが大きな違いですが、幅広い年齢層だからこそ、選手個々の経験などを生かせるんじゃないかと思っています。

 

 今季、香川は半数近くの選手が入れ替わりました。去年、優勝を経験したメンバーは半分しか残っていないわけですが、選手が入れ替わったからこそできることがあると思っています。入れ替わったチームでアイランドリーグの優勝を勝ち取りたいと強く思っています。これは目標というよりも信念ですね。

 

 僕は一度、大学(日体大)を卒業したときに野球を辞めました。小学1年生でソフトボールを始めて、小中高大とずっとソフトや野球と付き合っていたんですが、初めて離れた形です。まさかそれが今、四国で再び野球をやっているなんて信じられません。

 

 大学時代、1年春からベンチ入りして、秋にはレギュラーでした。ですが2年のときに送球イップスになって、2年、3年はスタンド組。4年でレギュラーに復帰しましたが、最後の秋は神宮大会出場を目指していたのに、最後は何にもない消化試合、しかも負けて終わるという中途半端なものでした。

 

 卒業後は飲食業の会社に就職し、野球はきっぱりと辞めました。4年のときに首都大学リーグ選抜でオーストラリア遠征に行きましたが、そのとき二遊間を組んだのが田中俊太(巨人)で、あとサードは森下翔平(日立製作所)など、結構なメンバーでした。周りは卒業後も野球をやっているのに、自分だけ社会人野球にも進まなかったんです。

 

 では、なんで四国ILに入ったのか? 結局、飲食は自分には向いていないことが分かって、2年で退職。それで何をしようかと思ったときに友人がBCリーグのトライアウトを受験しました。どれくらいのレベルなのかという話を聞き、周囲も親も「もう1回、野球をやれ」と強く勧めてきたし、それで「野球やろうかな」と。

 

 年が明けて17年はアルバイトをしながら何とか生計を立てて、福岡の実家で11月のトライアウトを待っていました。それで夏の終わりに友人から草野球に誘われたんです。行ってみるとそこが酒井大介さん(元香川)のチームで、「お前、うまいな。というか仕事は何やってんの?」と。「トライアウトを受けるためにバイトしています」と言うと酒井さんが香川を紹介してくれて、ちょうどチームが筑後に来ていたこともありトントン拍子に話が進みました。2日間、練習に参加して、最初は「来季から」のはずが、内野手にケガ人が出たこともあって「すぐ来られるか?」と。それで9月18日に香川デビューでした。

 

 香川はこのとき後期優勝をかけて愛媛マンダリンパイレーツと争っていて、マジック3とかの状態。そこでチームに合流です。3年近くブランクがあったけど緊張する間もなく、とにかく打って走ってと夢中でした。ただ、9月20日の高知戦、マジック2の試合で8回にスクイズのサインを見落としました。結果、ホームスチールになって同点。引き分けで優勝が決まったんですが、西田監督には思いっきりケツを蹴られました(笑)。

 

 大学4年のトラウマ

 こうした経緯で今は香川で野球をやらせてもらっています。独立リーグの環境が厳しいと言いますけど、バイト生活でトライアウトの時期を待っていた当時に比べたらそんなにきつくありません。野球に集中して取り組めるわけですから、本当に感謝です。

 

 加入してすぐ17年の秋、ポストシーズンが終わった後、フェニックスリーグにも参加させてもらいました。IL選抜として出場しましたが、3年近いブランクで2軍とはいえNPBのピッチャーの球には、とても目がついていきませんでした。近藤智勝コーチからは「まずは140キロのまっすぐをどう打つか」というところから教えてもらい、自信のあった守備についても再度、鍛えられました。昨季後半から課題だったバッティングでも結果が出るようになったので、今季はもともとアピールポイントである守備もさらに磨き、NPBのスカウトの目に止まりたいです。

 

 キャプテンとしては言うべきことは全部言い、そしてやるべきことは全てやろうと思っています。

 

 実は大学4年の秋、最後の試合に負けたことはずっと悔しくてトラウマだったんです。卒業してからも夢に見るくらいでした。当時、チームの課題もわかっていたし、もっと自分の意見を言っておけば良かったという思いもありました。でも自分はキャプテンではなかったので何も言えないままでの敗戦、そして引退。キャプテンになれなかったのも、イップスになった大学2年のときに、練習態度も不真面目になり、監督に対しても不平不満を表すようになった、いわば自業自得でした。だから、野球を辞めた後でも、「もっと意見を出していれば」「そもそもマジメにやっていれば」という後悔ばかりだったんです。

 

 今、若い選手を見ていても、彼らが不満に感じる気持ちもわかります。そういうときは自分の経験も交えて話そうと思っています。とにかくチームが勝つために、そしてNPBに行くために、ひとつのやり残しもないようにしたいと思っています。

 

 今、香川県には4つのプロスポーツチームがあります。オリーブガイナーズ(野球)、香川ファイブアローズ(バスケットボール)、カマタマーレ讃岐(サッカー)、香川アイスフェローズ(アイスホッケー)、これらがひとつになって香川を盛り上げたいと考えています。

 

 やはり地元の人に応援してもらえると励みになるし、香川という看板を背負っているからには地元を盛り上げたいじゃないですか。そのためにはやっぱり勝つことが大事なんですよね。球場に来てくれたファンの人たちを見ていると、やっぱり試合で勝つといい笑顔で帰っていっているんですよ。

 

 グラウンドで一番声が出ている男と監督が言ってましたか? 確かに僕がキャプテンになって香川はさらにガッツのあるチームになると思うので、ぜひ球場に応援に来てください。「勝利」で皆さんを笑顔にしたいと思っています。

 

<中村道大郎(なかむら・みちたろう)プロフィール>
1992年5月26日、福岡県出身。小学校1年生からソフトボールを始め、小6時はエースとして福岡県大会で優勝、全国大会ベスト16入りを果たした。中学では軟式野球部に所属し、ここで内野手に転向。福岡県大会優勝、九州ベスト4進出などに貢献した。強豪私学からの誘いを断り、高校は公立の戸畑高(福岡)へ進学。レギュラーショートとして活躍し、高3夏に県8強など善戦も甲子園出場は果たせず。日本体育大学に進学し、俊足堅守の内野手として鳴らす。大学4年で首都大学リーグ豪州遠征選抜に参加した。就職を機に野球から離れていたが、2年で退職し、再び野球の道へ。17年8月、知人のつてで香川のテストを受けシーズン終盤の9月に入団。即公式戦に出場し、プレーオフ、グランドチャンピオンシップなどポストシーズンゲームにも出場。同年秋、フェニックスリーグにIL選抜の一員として参加した。18年、50試合に出場し打率2割4分4厘。19年からキャプテンに就任。右投右打。身長175センチ、体重80キロ。

 

(取材・文/SC編集部西崎)


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