この2月、55歳の若さで死去した第60代横綱・双羽黒の北尾光司さんには、ヒールのイメージが付きまとう。

 

 

 1987年の九州場所後、立浪親方と対立した挙句、部屋を飛び出し、廃業に追い込まれてしまったからだ。角界においては親も同然である師匠に暴言を吐き、あまっさえ女将さんに暴力を振るう――。これにより北尾さんのイメージは地に堕ちた。

 

 しかし、後になって振り返ると、“ヒール北尾”には多分に仕組まれた面もあった。大男に暴力を振るわれた女将さんが無傷でいられるだろうか。

 

「もし僕がそんなことをしたら、命にかかわるような事件になっていますよ」と北尾さんは語ったものだ。

 

 親方との対立の背景には、ちゃんこを巡る考え方の違いがあったからだと言われている。たかがちゃんこ、と言うなかれ。部屋の思想がもっともよく表れる場所、そこが台所なのだ。

 

 北尾さんは語っていた。

「ちゃんこは番付の上の者から順番に食べますから、フンドシ担ぎが食べる頃には、もう汁しか残っていないんです。それをご飯にかけ、漬物をおかずにして食べる。食べ盛りですから、おいしい物を腹いっぱい食べられないということが、いちばん悔しい。それで、ちゃんこ当番になると、関取がいない間に器にちゃんこを入れ、戸棚や台所に隠すんです。

 

 しかし、必ずといっていいほど、ちゃんこ長や兄弟子に見つけられてしまう。チキショーって思うでしょう。その悔しさを持続した者は強くなるが、じゃあ間食してやろうという者は強くなれない。相撲社会のハングリー精神の根っこが、ちゃんこにはあるんです」

 

 当時、北尾さんは「角界の新人類」と呼ばれていた。相撲には真っすぐに向き合っていたが、相撲界で生き抜くには、あまりにもナイーブ過ぎた。もし北尾さんが思いとどまっていたら、その後の相撲界は大きく変わっていたに違いない。

 

 大輪の花を咲かせる前の廃業は、今考えても惜しまれる。

 

<この原稿は『週刊大衆』2019年4月22日号に掲載されたものです>

 


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