夏場所、米国大統領として初めて大相撲を観戦したドナルド・トランプから大統領杯を手渡されたのは、西前頭8枚目の朝乃山だった。

 

 

 ちなみに富山県出身の幕内最高優勝は、1916年夏場所の太刀山以来、実に103年ぶり2人目とか。

 

 太刀山といえば、「四十五日の鉄砲」の異名をとった明治から大正にかけての名横綱である。1912年1月場所から1916年5場所にかけて56連勝を記録している。

 

 ところで、なぜ先の異名になったのか。当時、太刀山の双手突きに耐えられる者はいなかった。ほとんどの者が“一突き半”で土俵を割った。

 

 一突き半(一カ月半)、すなわち45日ということである。誰が付けたか知らないが、昔から名コピーライターはいたようだ。

 

 富山県出身力士には“異色”もいる。その右代表が戦前、「日本の三大億万長者」のひとりと言われた大谷米太郎だろう。ホテルニューオータニに、今もその名をとどめている。

 

 富山県小矢部市の貧農の出身。小作生活に嫌気がさし、31歳で上京した。そんな大谷青年に声をかけたのが大相撲の稲川部屋だった。

 

<力士になった大谷氏は幕下筆頭まで出世するものの、怪我がもとで相撲を断念。鷲尾獄(大谷氏の四股名)酒店を作り国技館の酒類販売を一手に引き受けるようになる。

(中略)

 関東大震災では大きな被害を受けるものの、今度は震災復興に伴う鉄鋼需要に注目。大谷製鋼所を設立して、大きな利益をあげた。1940年にはグループ会社を合併して大谷重工を設立。満州にも進出を果たし「鉄鋼王」と呼ばれるようになる>(「経営プロ」2016年8月3日配信)

 

 力士のセカンドキャリアの重要性が指摘されて久しい。大谷米太郎こそは力士のロールモデルではないか。蛇足だが、ホテルニューオータニは1964年東京五輪開催決定を受け、宿泊需要をみたすために米太郎がつくったホテルである。

 

<この原稿は『週刊大衆』2019年6月17日号に掲載されたものです>

 


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