二宮清純: 大至さんと言えば、角界きっての相撲甚句の名手です。七五調の囃歌で、私も大好きです。聴いていて飽きませんし、風景が思い浮かぶのがいいですね。

大至: 相撲甚句の歴史を調べると、元々は芸者衆が歌っていたそうです。お座敷遊びに来た力士に見せるために歌って踊っていました。相撲甚句の音階はヨナ抜きという沖縄音階と一緒なんです。

 

 

 

 

 

 

二宮: ヨナ抜きとは?

大至: ドレミファソラシドの音階で4番目と7番目を抜くんです。つまりファとシ。このヨナ抜きが日本人の琴線に触れる音階だと言われているんです。メロディーを懐かしく感じ、歌詞が自然と身体に入ってくる。だから二宮さんがおっしゃるように風景が思い浮かんでくるのだと思います。

 

二宮: 大至さんが相撲甚句に出合ったのはいつ頃?

大至: 僕の師匠は母親です。母は民謡が得意でした。父親が相撲好きということもあり、我が家で相撲甚句のテープを買っていました。それを家事をしている時にずっと聴いているわけです。母がテープに合わせ歌っているのをそばで聴き、自然と覚えていきました。僕にとっては相撲甚句が子守唄のようなものでした。

 

二宮: 子守唄ですか?

大至: ええ。ただ僕が相撲甚句を本格的に取り組んだのは相撲が強くなるためです。

 

二宮: それは、どういうことですか?

大至: 僕が幕下で低迷していた時、“地方巡業に毎回出て、他の力士たちと稽古をしないと強くなれない”と考えたんです。地方巡業には十両以上は全員参加ですが、幕下以下は違います。だから地方巡業に呼ばれるために相撲甚句要員の座を狙ったんです。寝る時には相撲甚句を流して“睡眠学習”をしました。それほどまでに相撲甚句漬けの日々を送り、体に染み込ませました。いつの間にか相撲甚句の方が有名になってしまいましたけどね。

 

二宮: アハハハ。地方巡業は大事なんですね。

大至: 巡業では甚句手当もいただけましたし、稽古で鍛えることもできました。だから相撲甚句を磨いたことは自分にとって一石二鳥どころか三鳥、四鳥の価値がありましたね。

 

二宮: そのハングリーさが成長を支えたんですね。

大至: はい。ただ僕はちゃんこ長でもあったので、地方巡業でちゃんこを作らなければいけませんでした。朝、買い出しに行っていたら稽古の時間が削られてしまう。だから前日の夜に買い出しを済ませて、滞在先の冷蔵庫に入れさせてもらう。関取には2人の若い衆が付き、そのうちの1人が僕でした。僕はもう1人の付け人に下ごしらえなどを頼んでおき、稽古から帰ってきてからバーッと料理を済ませました。その頃は、ちゃんこを作るわ、相撲甚句も歌わなければいけないわ、稽古もしなければいけないわ、で本当に大変でした。移動の時間は泥のように眠っていましたね。

 

 地獄のタイヤ引き

 

二宮: そもそも角界に入るきっかけは? 

大至: 僕の曾祖父が新潟で相撲部屋を開いていました。祖母はそのお相撲さんたちに育てられたこともあり、「孫に相撲取りがほしいね」と言っていたそうなんです。だから父は僕が生まれる前から相撲取りにしようと決めていました。

 

二宮: 生まれる前から角界に入る運命だったんですね。大相撲へは当時の押尾川親方(元大関・大麒麟)のスカウトだったとか?

大至: はい。中学3年時に全国大会でベスト16に入ったのがきっかけです。翌日、学校に親方から電話が入り、その次の日には我が家に来ていました。

 

二宮: 「中学出たら、うちに来い」と?

大至: ええ。もう父親の決断も早かったですね。押尾川部屋以外からも誘いはありましたが、「オマエの相撲を観て、一番に来てくれた親方のところへ入れる」と。

 

二宮: 1984年、押尾川部屋に入門しました。同期は?

大至: 琴錦、琴ノ若、浪乃花、湊富士がいました。

 

二宮: 角界の稽古は厳しいことで知られています。逃げ出したくなったことは?

大至: 僕は相撲が好きじゃなかった。父親にやらされていましたから。しかし、やると決めたら貫き通すという信念はありました。どんなにしごきがきつくても“絶対逃げるもんか”と思っていましたね。

 

二宮: 毎日が今でいう“パワハラ”だったのでは?

大至: もう毎日どころか“毎時”“毎分”でしたよ(笑)。だけどあの頃の“なにくそ”という思いがハングリー精神に繋がっていたのだと思います。

 

二宮: 多くの力士は十両に上がった時が一番うれしいと言います。給料も出るし、付け人もできます。

大至: それは間違いないですね。僕は入門から9年かかりました。幕下3枚目で勝ち越したものの、十両に昇進できない時がありました。それが悔しくて悔しくてしょうがなかった。僕の場合はタイヤ引きが十両への昇進に繋がりました。

 

二宮: タイヤ引きとは?

大至: 押尾川部屋名物の稽古です。トラックのタイヤを2つ重ねたものを引っ張るんです。アスファルトの上で引っ張るので、夏場は地獄でした。熱でゴムが地面にくっつき、なかなか前に進まない。僕は三日坊主で全然続かなかった。師匠からは「オレがやれと言ったのにやっていないな」と叱られました。その頃は先に後輩が十両へ上がるなど焦りがありました。師匠には「努力というのはな。同じことを毎日やることだ。とにかくやれ!」と散々怒られました。毎日、タイヤをとにかく引っ張り続けた。それが実って1年かけて十両に上がりました。

 

二宮: トレーニングで下半身がしっかりしてきた証拠ですね。現役時代の出足の鋭さはタイヤ引きが源だったと?

大至: 師匠にもそれを言われました。「オマエは廻しを取ってどうこうする相撲じゃない。ぶちかましてからの流れで相撲を取るのだから、下半身をとにかく鍛えろ」と。最初の3カ月は続けるのが大変でした。しかし、いつしかクセがつき、むしろ引っ張らない日があるとムズムズしてきちゃう。結局、部屋で最後までやっていたのは僕だけでしたね。

 

 貴乃花には5戦全敗

 

二宮: 現役時代に対戦した力士で印象に残っているのは?

大至: 破壊的な力の持ち主は武蔵丸、曙。粘り強さは若乃花。持ち上げる力なら貴ノ浪ですね。スピードは琴錦などいろいろなタイプがいましたね。何かに特化していれば関取にはなれるかもしれません。しかし、そこからさらに上へいくには総合力だと思います。その点では貴乃花はピカイチでした。精神面、下半身の強さ、腕力もある。そして相撲に対する強い気持ちがありました。

 

二宮: 対戦成績は?

大至: 5戦全敗です。全然勝てませんでした。

 

二宮: 多くの人が歴代最強横綱に名を挙げます。

大至: 強いなんてもんじゃないですよ。あれはどうにもならない。睨まれたら何もできないという感じでしたね。ある日の一番で、立ち合いで一気に当たって土俵際まで追い込んだ時がありました。身体が離れた瞬間に貴乃花の顔がパッと見えたんです。

 

二宮: どんな表情でしたか?

大至: 鬼の形相でした。それで“もうダメだ”と思ってしまったんです。回り込まれ、最後は投げられて終わりました。あれは忘れられない一番ですね。

 

二宮: 顔を見なければよかった(笑)。

大至: いや、目に入ってしまったんです。またある日の場所で、貴乃花と当たった時に、調子が良かったので“またぶちかまして走ってやれ”と考えていました。すると小錦さんが「大至、バーンと当たってから、いなしてみろ」とアドバイスをくれたんです。「僕は真っ直ぐいこうと思っています」と答えましたが、「今場所のオマエなら絶対いける」と言うんです。それを信じて挑んだら、結局自滅して負けました。

 

二宮: アハハハ。小錦さんの圧力もすごかったでしょう?

大至: 山が迫ってくるみたいでしたね。小錦さんからは「オマエの当たりが幕内の中で一番強い」と褒めてもらいました。

 

二宮: 曙さんはどうでしたか?

大至: 得意の諸手突きの間合いに入ってしまったら何もできない。長身でリーチも長かったから、2階から手を出されているような感じでしたよ。

 

 歌手は子どもの頃の夢

 

二宮: では武蔵丸さんは?

大至: 武蔵丸とは1勝1敗です。勝ったのは彼が大関の時。ある場所で僕は武蔵丸と当たると分かっていたので、若い衆に全取り組みをビデオで録画させていたんです。その取り組みを全部見て、クセを見つけたんです。

 

二宮: そのクセとは?

大至: 立ち合いの時に真下を向くタイミングが一瞬だけあったんです。だからゼロコンマ何秒の隙を突けば絶対にいけるという確信がありました。実際にイメージした通り、押し出しで勝つことができました。これは会心の相撲でしたね。

 

二宮: 2002年に現役を引退しました。親方として指導しようとは思わなかったんですか?

大至: ウチの師匠には「部屋を継げ」と言われました。だけど僕は歌手になるのが子どもの頃からの夢でした。まずは父親を先に説得しました。父に「これからどうするんだ?」と言われ、「僕は“子どもを相撲取りにしたい”というお父さんの夢を叶えました。これからは自分の夢を叶えます」と答えました。

 

二宮: さて、今までで一番美味しいお酒はどんな場面でしたか? 

大至: やはり初めて十両に昇進し、父親と酌み交わしたお酒ですかね。

 

二宮: 最高の親孝行ですね。

大至: 最初は嫌々始めた相撲ですが、僕には相撲に育てられた恩があります。相撲の素晴らしさを伝えたいという思いがある。だから講演などでも相撲甚句の魅力を存分に語っています。

 

二宮: 今度は大至さんの美声に耳を傾けながら『木挽BLUE』をじっくり味わいたいですね。

大至: これ、マジで美味しいです。スッキリしていて飲みやすい。香りが良く、甘さも感じられて最高です。ちゃんことも合いそうですね。

 

二宮: ぜひ、お酒のレパートリーに加えてください。

大至: もちろんです。前々から『木挽BLUE』のことは気になっていましたが、とても気に入りました。僕が経営するスナックにも置きたいと思います。

 

(おわり)

 

大至(だいし)プロフィール>

1968年8月23日、茨城県生まれ。本名・高野伸行。中学卒業後に、押尾川部屋に入門。84年3月場所で初土俵を踏み、94年7月場所には幕内入りを果たす。突き押しを武器に幕内在位23場所。また相撲甚句の名手としても人気を博した。02年3月場所を最後に現役引退。引退後は相撲甚句のほか、オペラなどマルチな歌手として活躍。06年には、日本相撲協会主催の相撲指導員資格を取得した。現在は「相撲甚句」という伝統を守りつつ、TV、舞台、コンサート、催事など多方面にわたり活動している。最高位は前頭三枚目。通算成績は574勝593敗21休。

 

(構成・写真/杉浦泰介)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今回、大至さんと楽しんだお酒は芋焼酎「木挽BLUE(ブルー)」。宮崎の海 日向灘から採取した、雲海酒造独自の酵母【日向灘黒潮酵母】を使用し、宮崎・綾の日本有数の照葉樹林が生み出す清らかな水と南九州産の厳選された芋(黄金千貫)を原料に、綾蔵の熟練の蔵人達が丹精込めて造り上げました。芋焼酎なのにすっきりとしていて、ロックでも飲みやすい、爽やかな口当たりの本格芋焼酎です。

 

提供/雲海酒造株式会社

 

<対談協力>
おうどん 銀座うらら
東京都中央区銀座8−6−15 銀座グランドホテルB1
TEL:03-6228-5800
営業時間:
朝食   7:00~10:00  
昼・夕食 11:30~04:00(L.O.03:00)月~金  
        11:00~22:00(L.O.21:00)土・日・祝

 

 

☆プレゼント☆

 大至さんの直筆サイン色紙を「木挽BLUE」(900ml、アルコール度数25度)とともに読者3名様にプレゼント致します。ご希望の方はこちらのメールフォームより、件名と本文の最初に「大至さんのサイン希望」と明記の上、下記クイズの答え、郵便番号、住所、氏名、年齢、連絡先(電話番号)を明記し、このコーナーの感想や取り上げて欲しいゲストをお書き添えの上、お送りください。応募者多数の場合は抽選とし、当選発表は発送をもってかえさせていただきます。締切は19年7月11日(木)。たくさんのご応募お待ちしております。なお、ご応募は20歳以上の方に限らせていただきます。

 

◎クイズ◎

 今回、大至さんと楽しんだお酒の名前は?

 

 お酒は20歳になってから。

 お酒は楽しく適量を。

 飲酒運転は絶対にやめましょう。

 妊娠中や授乳期の飲酒はお控えください。


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