日本が別れを告げた南米選手権で、地元ブラジルがアルゼンチンを倒して決勝進出を決めた。両者がっぷり四つというか、実に見応えのある試合ではあったのだが、ちょっと寂しい気持ちにもなった。

 

 ブラジルが、少しも特別な存在ではなくなってしまったことに。

 

 勝負事である以上、苦杯を喫することはもちろんある。だが、かつてのブラジルは、たとえ敗れようとも、その強さ、美しさを強烈に印象づけていた。結果ではなく、内容でも愛されたのがブラジルであり、そこが他の世界王者たちとの決定的な違いだった。

 

 だが、ベロ・オリゾンチでアルゼンチンを下したブラジルに、特別なところは何もなかった。確かに強い。けれども、それだけ。わたしが何よりガッカリしたのは、そんな勝利であったにもかかわらず、満員の観客が不満の色を見せなかったことだった。

 

 伝統ある南米選手権で、しかも相手は宿敵アルゼンチン。勝利という結果に満足する気持ちはよくわかる。ただ、勝ってもなお、魅力的なサッカーでなければ酷評されることもあるのがブラジルという国ではなかったか。そして、世界のどこよりも厳しい目があったからこそ、ブラジルは世界で最も魅力的なサッカーを展開する国たりえたのではなかったか。

 

 衣食足りて礼節を知る、という言葉があるが、5年前、地元開催だったW杯でドイツに7発をブチ込まれた歴史的屈辱が、ブラジルのサッカーから礼節、つまり内容へのこだわりをむしりとってしまったのかもしれない。

 

 あのときも書いたことだが、いよいよ、ブラジルを特別な国だと考える人間は減っていく。たとえ今回の南米選手権で優勝したところで、喜ぶのはブラジルの人だけ。ペレやジーコがやったような、自国以外のファンを熱狂させることは考えにくい。世界王者の中の世界王者だったブラジルを、単なる世界王者の1つとしか見ない層は確実に増えていく。カナリア色に畏怖する者はいなくなり、挑戦者たちはいつも通りの力を発揮するようになる――。

 

 どうやら、ブラジルは戻れない河を渡ってしまったようだが、いままさに渡るか渡るまいかの岐路に立っているのが日本のなでしこたちである。

 

 2大会続いていた決勝への進出を逃したのだがら、厳しい目が向けられるのは当然のこと。ただ、行き過ぎた反省や批判が自己否定につながることだけは避けてもらいたい。

 

 敗れはしたものの、決勝トーナメント1回戦のオランダ戦で主導権を握っていたのはなでしこだった。それだけではない。フランスの観客が後押しをしたのも、なでしこだった。彼女たちのサッカーは、かつてのブラジルがそうだったように、自国以外のファンにも受け入れられていたのである。

 

 こんな国は、他にない。

 この立場を、手放してほしくない。

 

 来年の東京五輪に向け、何らかの改善なりてこ入れが必要なのはわかる。願わくばそれが、歩んできた道、目指してきた道がそれほど間違っていないとの前提に立ったものであることを。

 

<この原稿は19年7月4日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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