いつかはそうなってほしいし、そうなれば日本のスポーツが変わるのでは、とも思う。ウィンブルドンという英国人のために作られたテニス大会が、やがて世界に開かれ、英国人の誇りと世界の憧れになっていったように、日本の高校生のための野球大会が、世界の高校生の憧れになれば、と。

 

 荒唐無稽な話であることはわかっている。だが、ちょっと想像していただきたい。

 

 甲子園が世界に開かれ、野球熱が高まっている地域から何校かが招待されたとしたら。そして、招待されたチームの一つが、あろうことかベストメンバーを送ってこないとしたら。

 

 日本人なら、どう感じるだろうか。

 

 もし大会に対する敬意のなさを感じた方がいたとしたら、それこそが、今回の南米選手権における日本代表に対する、南米の人たちの感情に一番近いのではないかと思う。

 

 もちろん、こちら側にはこちら側の事情があった。リーグ戦の真っ最中に主力を引き抜かれるのはあまりにも痛い。選手の招集がうまくいかなかったのも当然といえば当然である。

 

 ただ、伝統ある大会を運営する側からすれば、「せっかく招待してあげたのに」との不満は募る。もし、主力の抜けたチームが惨敗を喫していたら、今後の招待に反対する意見は爆発的に広がっていた可能性がある。

 

 どれほど伝わっていたかは定かではないが、日本が南米選手権を軽視していたわけではまったくない。今回のチームが、南米の人たちがイメージするA代表よりも格段に力が劣っていた、というわけでもない。たとえ来年に地元開催の五輪が控えていようがなかろうが、今回の経験は日本サッカーにとって極めて重要なものだったし、その認識は、チームに関わるすべての人間が持っていたはずである。

 

 2試合で勝ち点をあげたのは、だから、相当に大きな意味を持っている。

 

 チリ戦で高まった「それ、見たことか」という空気を、日本の選手は残り2試合でほぼ払拭した。日本が大会に敬意を払い、勝つために死力を尽くしたことは、間違いなく伝わった。

 

 これならば、次もある。

 

 今大会で初めて代表に選ばれた選手にとっては、世界でもっともタフな大会ともいえる南米選手権が、国際試合の原体験となる。これほど多くの選手が、これほど過酷で意味のある初キャップを獲得したのは、日本サッカー史上初めてのことである。

 

 しかも、日本は南米のチームではない。

 

 いくらベネズエラが修羅場の経験を重ねても、彼らが勝たなければならないのは同じように修羅場をくぐった南米の大国である。だが、日本が手にした経験値は、アジアでのものに換算すれば十数試合分に匹敵するかもしれない。

 

 過酷な黄金郷。それが日本にとっての南米選手権だった。経験の浅いメンバーが、手ぶらでは大会に別れを告げなかったことを、わたしは高く評価したい。

 

 願わくば、再挑戦の機会を得るための努力と、招集に応じたチームがバカを見ることがない方策がなされることを。

 

<この原稿は19年6月27日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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